大津市と「琵琶湖を美しくする運動実践本部」が6月30日に雨天決行した「琵琶湖市民清掃」の問題で、大津市だけでなく滋賀県に対しても、大津市民から苦情が届いていた。一部の市民が、「琵琶湖市民清掃」は県の主催行事だと誤解したためだとみられる。それほど、県下の琵琶湖をめぐる美化活動は、一般市民にはわかりにくい特異な構造になっている。
滋賀県は「美しい湖国をつくる会」をつくり、県内の自治体とともに、清掃活動を行っている。ところが、そこに大津市だけは参加せず、独自路線を歩んでいる。それが大津市と「実践本部」による「琵琶湖市民清掃」だ。
なぜ、大津市だけは独自路線を歩むことになったのか。ウオッチドックでは、大津市の「琵琶湖市民清掃」を2014年から調査してきた。2014年の取材当初、ウオッチドッグ記者も、大津市だけが独自路線で市民清掃を実施していることは知らなかった。県内の他市町と同じく、滋賀県が主催する一斉清掃に参加していると思っていた。
大津市の「琵琶湖を美しくする運動実践本部」は、1972年6月に設立されたという。ところが、1972年以降の新聞報道を調べても、「琵琶湖を美しくする運動実践本部」の名前は出てこない。新聞で報道されているのは、滋賀県が提唱して始めた「美しい湖国をつくる会」による「びわ湖を美しくする運動」だけだ。
大津市の「琵琶湖を美しくする運動実践本部」の運営はなぜ不透明なのか、なぜ、実施団体や収支についての情報をホームページで明らかにできないのか。その答えは過去の経緯にある。
ウオッチドック記者は、過去の報道を調べました。
また、1960年代から1970年代にかけての琵琶湖をめぐる「政・財・官」と、住民の動きを取材し、社会情勢の年表を添付して記録した朝日新聞記者(当時)の池見哲司氏の著作『水戦争 琵琶湖現代史』(1982年、緑風出版)」を元に、当時の動きを紹介していきます。
「琵琶湖を美しくする運動」というのなら、過去に琵琶湖で何があったのか、本来はそれを明らかすることでしょう。
「水戦争・1982年発行」カバー帯にはこんな言葉が…
近年、水問題への社会的関心は、その量と質、すなわち❛水飢饉❜と汚染の問題を軸にして急激な高まりを見せている。
近畿1300万人の❛水がめ❜である日本最大の湖・琵琶湖は、上・下流の永年の水争い、琵琶湖総合開発、赤潮や水道の❛くさい水❜騒ぎ、環境権訴訟、富栄養化防止条例などで知られるように、こうした水問題のあらゆる矛盾に晒されており、現代の水問題の原点ともいえる。
本書は、赤潮と水盗りによって瀕死の湖と化した琵琶湖を、粘り強く取材してきたジャーナリストが、国、自治体、企業、政党、住民の三つどもえ、四つどもえの錯綜した「水戦争」を克明にレポートした初の書であり、琵琶湖を通じて現代の水問題の本質を明らかにする。