ウオッチドッグ編集部は、7月3日から3日間、高知県の一級河川・物部川を取材した。短い期間だったが、物部川漁協の松浦秀俊組合長が案内役として、河口、上流、ダム、土砂災害現場、そして釣りスポットまで、流域をくまなく駆け回った。

松浦組合長と行動を供にしてとにかく驚かされたのが、今年で70歳とは思えない若々しくキビキビとした身のこなしと、物部川の隅々まで知り尽くした豊富な知識だった。

「小学生のころから、この川で釣りをしていました。当時を思い出すと、釣りをしている大人たちとの会話が楽しかったです。今も365日のうち、200日は川に行っています。あくまでも『調査』ですけど。調査、調査。釣りもしますけどね。ハハハ」

そう言ってにっこり笑いながら、「愛読書です」と1冊の本を見せてくれた。高知県出身の森下雨村(大正、昭和期の翻訳家、小説家)が書いた『つり随筆 猿猴 川に死す』※。1969(昭和44)年に出版された、今から57年前の本だ。作者が郷里の高知県に戻り、釣り三昧の余生を楽しんだ日々が綴られている。本の帯に、作家の松本清張が「この随筆には雨村氏の眼を通じて四国の山峡や渓流の風景、土地の人々の生活や人間味がいきいきと描き出されている」と賛辞を寄せている。

※復刻版が2005年、小学館文庫から発刊されている

この地で「猿猴(河童)」と呼ばれた魚を捕る名人の漁夫を追悼したエッセイ本

この本を読んでみると、市井の人々との何気ない日常や、アユやウナギが川のいたるところにいて、その魚たちを「猿猴(河童)」と呼ばれた漁夫が追う様子が浮かび上がってくる。釣りをしないウオッチドック記者にも、「四国の川はこんなに豊かだったのか」と伝わってきた。

「自在に生きたい」。取材中に松浦組合長がそうつぶやいた。「自在に生きる」ということはどういうことだろう。すぐにイメージが湧かなかったが、森下雨村のような、自然の中で悠々とした生き方のことだろうかとも思えてきた。

森下雨村のように釣りを愛する松浦組合長は、幼少の頃から川に親しみ、京都大学農学部水産学科で学んだ後、高知県庁の水産技術職員として長年勤務した。定年退職後は、物部川漁協の組合長に就任し10年目になる。川と生態系を深く理解しているスペシャリスト。科学的知見(大学・県庁での水産技術職)と、現場感覚(釣り人、漁協としての視点)を併せ持つ稀有な存在といえる。

そんな松浦組合長、アユ釣りについてこう話した。

「アユを釣るのは難しい。ここにいるかなと思うといない。毎日違うから面白いです」
「アユは岩の苔を食べて短期間で急成長します。日本の環境にフィットした固有の魚で、ありがたい存在です。だから、そのアユがいなくなるのは、日本の自然そのものの危機です」

いつも友釣りでアユを狙うということなので、小雨の中、河口付近で腕前を披露してもらった。

アユの話をたっぷり聞いた取材初日の夜は、香美市にある隠れ家のような居酒屋で、松浦組合長が自ら物部川で釣り上げ、用意してくれたアユの塩焼きをご馳走になった。これまで食べたどのアユよりも別格だった。パリッとした皮に絶妙な塩加減。この店では様々な新鮮な魚料理が並んだ。アユの刺身も初めて口にした。そして、さすがカツオの本場。「スマガツオ」という珍しい刺身も堪能することができた。

1969年の『猿猴 川に死す』には、こんな文章が綴られている。

物部川の鮎は型もよく、大体いつもの年も豊魚であった。上流に深い渓谷がある。上下流とも底石の荒い急流だからだろう。釣りによし、友掛けによしであるが、網には条件が悪く、川筋に網を投げる漁夫の姿は、ついぞ見かけなかった。

この時代のような「天然アユが湧きたつ川」が蘇るのか。現代の漁夫、松浦組合長の挑戦は続く。(次回につづく)