明治34年11月20日号の第18号で、宮武外骨の滑稽新聞社は、「告発部」というものを設けたことをお知らせしています。報道だけでなく、詐欺師らを実際に告発するという実効手段をとりました。また、犯罪に加担する新聞社も告発。それらの経過を報道して、読者に知らせるという試みに乗り出しました。
告発の第1弾は、丹平商会の森平兵衛。当時、大阪は、和歌山に次いで、私生児を産む女性が多かったといいます。そんな中、堕胎薬を匂わせるような絵を広告に掲載し、「毎月丸」という薬を宣伝していた丹平商会から、さまざまな事情で妊娠した女性らが詐欺にあいました。「毎月丸」を購入した後で、効果がない薬とわかっても、口外することができず、泣き寝入りしていた実態があったようです。
次に、滑稽新聞社が告発したのは、ユスリ新聞社の「新日本」と「明鏡新聞」。この2社は、いろいろな会社や商店の広告を自社の新聞紙上に無断掲載し、その「広告料」がほしいということで、金銭を要求していたようです。「もし、支払わなければ、(会社や商店の)中傷記事を書くと恐喝した」ということを滑稽新聞社が知り、これは捨てておけないということで、当局へ「逮捕して下さい」と告発書を提出しました。銀行各社にも、新聞社の「新日本」による広告掲載料強要のハガキが届いたら、検事局へ転送しなさいとお知らせしています。
詐欺師たちを筆誅する報道だけでなく、このような新たな告発という手法をとり続けた宮武外骨は、第25号の紙上で「癇癪玉」と表現を使い、ここに至る思いを述べています。
下記は、明治のジャーナリスト宮武外骨の滑稽新聞・第24号をそのまま掲載しています。※一部の漢字は、現代語に当てはめたり、漢字をひらがなにしています。
■癇癪玉 明治35年3月10日発行 第24号
我が滑稽新聞記者は、全身癇癪玉をもって満たされいるが故に 絲亳の徴といへども人道に反し、公義に背くものあればその親疎を問わず、情実を顧みず仮借なく遠慮なくこれに誅伐を加ふる事とし、またその誅伐の実効を奏せん事を期するが故に、極めて過激なる手段を取りつつあるは読者諸氏の既に諒する所なるべし。
社会制裁力の薄弱なる当今において、記者にこの癇癪玉の過激手段あればこそ、幾分か誅伐の実効を奏し、他の新聞雑誌の如く常に空論空談に流るることの少なかりしなれ。
昨今、大阪市内のガラクタ新聞社員が脅喝を為す事の減少したるが如き、或いは、大阪府令をもって、新聞雑誌の押売、広告の無断転載を禁止せられたる如き、或いは詐欺広告屋の捕縛せられたる如き、或いは今回の毎月丸事件事件の如きはこれを我社の功績なりと呼譟するにはあらず。
然りといへども本誌が常に禿筆を呵し言説を繰返すの傍ら、種々の過激手段を施し、或いはしばしば当局者に対して、そのを迫りが如き行動もまた興りて幾分かの力ありしならんと信じず。この実況は多数なる本紙読者諸氏の認めらる所なるべし。
記者は、この癇癪玉をもって立ちこの癇癪玉をもって進むが故に、かりにも一度我が紙上に掲出したる敗徳者にしてその非行を悔ひざるに於ては千百回といへどもその膺懲の筆を継続し、尚改心せざる時は極めて峻酷極めて過激なる手段に依りてもその効果を見ずんは止まざるべし。故に彼の大詐欺師野口茂平の如きは
彼者が自滅するの時来るか
彼者が改心の実状を現すの時来るか
我社が不幸悲運にして廃絶するの時来るか
の三者にあらずんは我社は彼者を誅伐するの記事と行動とは之を中止する事なきなり。この他の輩に対するの決心もまた斯くの如し。その極めて峻酷なる手段、極めて過激なる手段とは果して如何の方法なるやは今ここに予報するの限りにあらざるなり。
これを要するに本紙の記事は空論空談に流るる事なきを期するにありと知るべし。乞ふ今後の事実に徴して此言の虚実を察せよ。
◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆
参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという。