一方、大津市は、将来的な財政難を理由に、住民らの市民サービスをどんどん削る中、大津市長や幹部らが、豪奢なホテルで大津市自治連合会と飲食三昧をいつまでも繰り返している。誰が、この人らの言うことについていこうと思うのか。

ウィキペディアの「上杉鷹山」では、下記のようなエピソードが、現存する老婆の手紙と共に紹介されている。

ある日、干した稲束の取り入れ作業中に夕立が降りそうで、手が足りず困っていたが、通りかかった武士2人が手伝ってくれた。取り入れの手伝いには、お礼として刈り上げ餅(新米でついた餅)を配るのが慣例であった。そこで、餅を持ってお礼に伺いたいと武士達に言ったところ、殿様お屋敷(米沢城)の北門に(門番に話を通しておくから)というのである。お礼の福田餅(丸鏡餅ときな粉餅の両説あり)を33個持って伺ってみると、通された先にいたのは藩主治憲であった。

お侍どころかお殿様であったので腰が抜けるばかりにたまげ果てた上に、(その勤勉さを褒められ)褒美に銀5枚まで授けられた。その御恩を忘れず記念とするために、家族や孫たちに特製の足袋を贈ることにしたのである。

このエピソードから見えてくるのは、たった2人で領地を、お忍び視察していた鷹山の姿だろう。手助けしてもらった老婆もお殿様と気づかない身なりだったようだ。質素倹約に励み、財政再建に奮闘していた鷹山の人柄がよくわかる出来事だ。

山形県米沢市には、上杉鷹山が次期藩主へと残した言葉、「伝国の辞」が伝わっている。意訳を紹介する。「国」を「大津市」、「我」を「大津市長」、「領民」を「大津市民」にあてはめて読んでみたらわかりやすいかもしれない。

一、国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない。
一、領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない。
一、国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、“君主のために存在・行動する国・国民”ではない。
この三ヶ条を心に留め忘れることなきように。

トップ自ら質素倹約に励み、公平、公正な行政改革を進めてこそ、「では、私たち市民も我慢して、どうにか頑張ろう」という気持ちにもなろう。しかし、大津市の場合、市長や市幹部、自治会のトップらは、市民の気持ちをまるで受け止められていない。想像さえできないから、住民の署名を拒否するという強行に出られるのだろう。

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