2011年の東日本大震災に、「トモダチ作戦」として従事し、被ばくした米兵たちを取材し続ける国際ジャーナリストのエィミ・ツジモトさん(米国、ワシントン出身の日系4世)に、2020年3月7日にインタビューしました。エィミさんには、2年前の2018年2月に続き、2回目のインタビューです。

エィミさんは、以前お会いしたときと同じように、静かに落ち着いて、語りだしました。

エィミ・ツジモトさん

Q:福島を取り巻く現状をどう見ていますか?

トモダチ作戦の米軍兵士たちが被ばくしている事実は、どんどん隅に追いやられ、同時に福島の方でも声がかき消されています。記憶が薄れ、記録だけになってしまう。そういう状況では困ります。福島ではかなりの被害が出ているはずだけど、声を上げられない人がたくさんいます。まるで(東京電力福島第一原発事故が)なかったような、そういう空気があるじゃないですか。やはり、それは、あってはならないと思います。

西洋人にとって、Fukushimaは、福島県のFukushimaだけでなく、宮城や岩手、山形や秋田、そして青森や茨城など、原発事故によって、広範囲な被害と、被害を受けた人たちのことを含めて、Fukushimaなのです。福島第一原発だけではないわけです。

Q:9周年を前に、映画『Fukushima 50』が公開されました。ご覧になりましたか?

公開初日に朝一番で見に行きました。映画の前半は原発事故の様子が臨場感あふれていて、しみじみ感じ入りました。東京電力の「非」、当時の政府の「非」も出てきていますが、空母レーガンが2011年3月12日の午後8時には千葉・勝浦沖を通過し、その後被ばくしていることは出てきていません。極めて残念。映画の終盤では、「トモダチ作戦」のことが出てくる。米兵たちが一生懸命、ヘリコプターで物資を運んで、被災地の人たちがとても感謝をしているというシーンがある。つまり、この映画は、3月12日と13日の被ばくの実態を隠すかのごとく、省略し、最後のうれしい様子だけを取り上げた形になっています。

Q:エィミさんは、原発事故とトモダチ作戦をテーマにした演劇をプロデュースしました。

タイトルは『悲しみの星条旗』。演劇というか、舞台です。(原発事故とトモダチ作戦が)今も連綿と続いている悲劇なんだということを、人々にもう一度認識してもらいたい。それには、兵士たちの証言、生の声を残すことを試みるしかないなと。舞台しかないと思って、昨年8月にチャレンジしたんですよ。文字では臨場感がでないので、舞台で表現して記憶に刻みたいという思いを持った者たちが、作りあげました。劇団員も、脚本家も、演出家も全員がボランディアでやってくれました。私の思いに応えて、熱演していただいた。京都や横須賀で開き、たくさんの方々が来てくださいました。

兵士たちの生々しい語り。彼らが一貫しているのは、「自分たちはもはや大変な被ばくをしているから、命に限りがある。でも、社会で力のない者が時代の証言者となって、フクシマの人たちを勇気づけるきっかけになれればいい」という思いです。その思いが舞台ではそのまま再現されています。

Q:『悲しみの星条旗』の舞台を収録したDVDもあると伺いましたが?

舞台をスクリーン化しました。舞台の初演が終わった後、「見逃して残念だ。DVDにならないんですか?」という声が届いたんです。ちょうど、私の友人に舞台を撮影する専門家がいました。彼が私のためにと舞台を撮影し、84分間のDVDにしてくれたんです。プロの撮ったものだから素晴らしい出来になりました。そこで、皆さんの期待に応えて、各地で上映しようと思ったんです。

当然、周囲からはいろいろと“圧力”がある。舞台には原発事業者など、“関係者”が来ていました。舞台では覚悟の上で演じてはいるが、(舞台の内容を)上映するとなれば、それなりに危惧するところは出てくる。なので、上映会をするなら、私の立ち合いでの上映会という条件をつけさせていただいています。そして、制作した人たちを「トモダチユニット」と名付け、ボランティアの草の根で運営しています。見ていただいて、現状への認識を広めていただければ、フクシマの人たちへの追い風になると思っています。

Q:トモダチ作戦の取材は、これからも続けるつもりですか?

被ばくした米軍兵士たちに、寄り添っていかなければいけないですね。この国のために来てくれたわけでしょう。頑健な兵士たちが、健康を損ね除隊させられていく。その挙句、社会からもつまはじきにされ、妻や子が去っていく現状。彼らに安らぎの場はどこにもないんです。

力のない、言葉を発することができない若い兵士たちが被ばくによって、次第、次第に病状が悪化し、最後は命を落としていくのです。すでに公表されただけで十数名の犠牲者が出ています。彼らの声を、私が元気でいるうちは、伝え続けなければいけません。特に日本に対しては。彼らの声はまさに「炭鉱のカナリア」なのです。

アメリカという国は、確かに、戦争ばかりしてきていて、日本では、反米的な気持ちを抱く人がいると思います。でも、今回、被ばくしている兵士たちは、最前線で、放射能が降りそそぐ中、作業を行ってくれました。みんな、個々の人間としては、力のない民衆です。日本が好きだったんです。目の前で瓦礫に人が挟まっている。あのような光景を見てきた兵士たち。彼らは涙を流しながら、救援してくれました。物資を運んだだけではなかったのです。瓦礫を撤去したのも彼らなんです。そこには、敵も味方も、「大嫌いなアメリカ」もないわけですよ。彼らも被害者です。

そしてさらに言うなら、死者への思い…。これはどのようにお詫びしても彼らの命はかえらない。ならばせめてもの償いとして「事実」を明らかにしたい。日米の加害者側には2つの罪があるのです。1つは「加害」の罪。もう1つはそれを「隠す」罪。今、世間ではコロナウイルス感染拡大の防止で躍起となっています。では、9年前の3・11による福島原発事故で放出された放射能の危険性について、当時どのような対策を両国の関係者はしたのか…。あの時の方が、はるかに深刻な事態だったのです。

3月中旬から、エィミさんは東北を周り、上映会を開催する予定。
3月28日(土)には、福島市のフォーラム福島で、午後1時から上映されます。前売り券1,000円。
問い合わせは、トモダチユニットへ。✉unitomodachi@gmail.com

※このチラシには、エィミさんが、宮城県気仙沼大島の海岸で撮影した写真が掲載されています。
「C・T・A」の文字は、東日本大震災当時、救援にあたり、その後、被爆のため28歳で亡くなったアジア系乗組員のイニシャルを、エイミさんが砂浜に記しました。花を挿し鎮魂の祈りを捧げて、撮影したそうです。

↓2018年2月11日付・ウオッチドッグ

忘れられた米兵たち/東日本大震災の救援で被爆/「トモダチ作戦」の真実/お知らせ№6