「人の命をいかに軽んじたか。それを日本の人たちにも知ってもらいたい」

国際ジャーナリストのエィミ・ツジモトさんは、静かにそれでいて力強く話し始めた。

原発問題—放射能が人体に及ぼす影響についてーを長年、調査、取材してきたエィミさんは、2011年3月11日の東日本大震災が起きた直後から、原発の危険性を何人もの日本政府高官や国会議員にアメリカから電話で伝えたが、反応が鈍かったという。

エィミさん「米国時間3月11日の正午過ぎ、オバマ大統領(当時)は1時間遅れて記者会見場に登場し、直前の菅直人首相との電話会談を踏まえた上で、日本の大惨事を、極めて壊滅的なものになるだろうと発表したのです。同時に同盟国として、とても心が傷む思いでいる、と心情を述べ、菅首相には、支援を行うことを約束したのです」

ー2つの祖国をお持ちのエィミさんの当時の心情をお聞かせ下さい。

「私自身、オバマ大統領の言葉に胸打たれました。<我々はこの大きな悲劇に立ち向かっている日本の人々を支援するための用意はできている。(日本と米国)友情と同盟関係は揺るぎないものであり、我々は寄り添う決意である>と述べた上で、<いま日本で起こっていることは、文化、言語、宗教でどんな違いがあっても、究極的に人類は一つだということを思い起こさせる。日本で、みな(悲劇に見舞われたとき)自分の家族は大丈夫だろうか、と心配するものだ>と言った時には思わず顔を覆って泣いてしまいました。この時、私は村のコーヒーショップでその演説を聞いていたのです。周りの人たちが私の周りを囲み、口々に慰めてくれました。中には涙を流している人もいました 」

まもなく、日本政府の要請を受け「トモダチ作戦」として、災害救援に急行した米国海軍の空母ロナルド・レーガンは、福島第一原発が水素爆発した後も、海上で災害救援にあたっていた。

エィミさん「この時、災害救援にあたっていた兵士たちが、大量の放射能を浴び被爆しました。その後、体調を崩し、軍を辞め、何の支援も受けられぬままです。亡くなっている兵士も出ています。兵士たち約450人が、東電を相手に訴訟を起こしました」

―なぜ、東電への訴訟なのですか?

エィミさん「東電は正しい情報を出しませんでした。日本政府すら、当初、何が起きたのかを掴んでいませんでした。今でこそ、SPEEDI( 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム )が知れ渡りましたが、当時の日本政府は、国民の税金を使い、多額のシステムを配置していたにも関わらず、使い方を知りませんでした。文科省の管轄ですが、文科省もわかっていなかった。SPEEDIを知っていたのは、東電と経産省ぐらいでしょう。日本政府は、放射能の行方を、全く把握していませんでした」

―兵士たちは、軍から医療を提供してもらえないのですか?

エィミさん「何年も軍に従事した兵士なら、それなりの支援は得られますが、10代後半や20代前半の若い兵士は、体調を崩し、軍を辞めてしまい、支援を受けられぬままです」

―エィミさんの本では、放射能汚染との因果関係を明確に指摘する医療機関がないとありましたが?

エィミさん「それは軍の医療機関です。米国ではお金がないと民間の医療機関にはかかれません。お金をかき集めて、民間の医療機関にかかった兵士は、放射能が影響していると診断を受けています」

―空母レーガンには、ヨウ素剤が配備されていたのに、配布されなかったと書かれていますね?

エィミさん「当初はただの災害救援だと思っていたようです。それがおかしい、と気づいたのはもっと後のこと。レーガンは、5000人以上が暮らす街のような空母です。全員にヨウ素剤を配布したら、パニックを起こしていた可能性が強いでしょう。しばらく経ってから、艦長は『水は飲むな。シャワーを浴びるな』と艦内アナウンスをしています。それが艦長としてのぎりぎりの選択だったのでしょう」

―災害救援にあたった兵士の状況は?

エィミさん「若い兵士たちは、貧しさから兵士になった人たちが多いですが、すごく純朴なんです。自分たちのペットボトルを災害地に届けました。それで、すぐ艦内のペットボトルがなくなってしまった。流された子どもを救い出そうと手を伸ばしたが、濁流にのまれて助けられなかったと悔やむ兵士もいました。みんな、日本が好きだったんです。なんとか日本の人たちを助けようとしたんです」

―現在、訴訟が進んでいますね?

エィミさん「裁判管轄の段階です。裁判をアメリカでやるか、日本でやるかを争っていました。米国の裁判なら、全ての資料を提出しなければならないです。東京電力はなんとしても、日本で裁判をやりたかった。でも、被害にあったのは米国の兵士です。日本政府は、東電の考えに従うと言いました。そこで、米国政府の見解を聞くという流れになり、オバマ政権の時に、カリフォルニア州の地方裁判所で行うということになりました」

―日本では、トモダチ作戦の兵士が、被爆で苦しんでいるというのは、あまり知られてませんが。

エィミさん「小泉純一郎元首相が、被爆した米国の兵士たちの話を聞きに、渡米しました。その時は、メディアも関心をもって取り上げてくれました。米国では少しずつですが、支援の輪が広がってます。米国では兵士に敬意を払います。辣腕弁護士のエドワーズも加わりました。日本の人たちも、若い兵士たちの状況を知ってもらいたいです。何人かを日本に呼んで、話を聞けば、福島の今がわかるのではないか、と」

―災害時は、トップの決断が大きいと思いますが。

エィミさん「先ほど、ヨウ素剤の話が出ましたが、あの当時日本では、福島県三春町全町民に、ヨウ素剤が配られています。町長の判断で、です。私は町長に話を聞きに行きました。福島県庁まで、バイクなどで町役場の職員が何度も往復して、ヨウ素剤を町民1人1人に配ったそうです」

―福島県庁には、ヨウ素剤が用意されていたということですか?

エィミさん「それはそうですよ。原発のある都市は、全て用意されてます。それを考えれば、自身や家族の身を守るには、日頃から原発事故が起きた際や放射能の影響について情報を掴むことが大切です」

最後に、よく聞かれる質問として、「5000人、10000人も従事したトモダチ作戦で、450人規模の訴訟団は少ないのではないか」という問いに、こう答えた。

エィミさん「裁判は、お金がかかります。軍を辞めた若い兵士に原告団に加わる手続き費用もままなりません。そのような工面さえできないほど窮地に陥っているのです。費用の工面に対するサポートなどがあれば、彼らはどんどんと加わっていくに違いありません。医療基金は、小泉・細川元首相の協力によって予想以上の額が集まり、兵士たちの医療支援が始まっています。これからは、兵士たちに別の側面からのサポートが求められます」

被爆した米兵たちの窮状を訴えるため、エィミさんは、この問題の取材に6年間も費やした。

そして、2018年1月30日に、6年間の取材をまとめた「漂流するトモダチ/アメリカの被ばく裁判」と題する単行本を共著で出版した。


「福島第一原発が水素爆発を起こし、レーガン乗組員約五千人は大量の放射線を浴びました。ここにいるリンゼイもその1人です」(第一章から)

東日本大震災から7年。称賛されたトモダチ作戦の裏で、従事した兵士たちは白血病など様々な病を発症していた。恐るべき被害の補償を求め、元兵士らが提訴。現在、原告数は400人以上にのぼる。

誰が、何を隠そうとしているのかー
日米のジャーナリストが被ばくの真実をおった。

~漂流するトモダチ/アメリカの被ばく裁判より~