元農水相の岩永峯一氏(76)が理事長を務める一般財団法人「滋賀県青年会館」(大津市唐橋町)に対して、滋賀県が貸し出している土地の使用料を徴収せず、無償で提供し続けていた問題で、所管の自然環境保全課は、「来年3月31日までに財政課が基準の見直しについて検討する」と、ウオッチドッグの取材に答えた。行政財産の使用許可の契約が切れるまでに結論を出したい」と問題を1年先送りした形だ。

滋賀県青年会館は、日本三名橋の一つ「瀬田の唐橋」のたもとにあり、約40年前からホテル旅館業を営んでいる。滋賀県は4857平方㍍の土地の使用料を「県の施策を補完・代行する事務・事業のため」などの理由で免除していた。

宿泊客は5割、貸館については7割が一般客というのが実態。しかし、青少年に関する事業を行っているとして、県子ども青少年局が、琵琶湖環境部長宛に、使用料免除を願い出て、減免措置が続いていた。

昨年8月に「滋賀県市民オンブズマン」(浅井秀明代表)が、監査請求を起こしたことから、問題が発覚した。県監査委員は、オンブズマンの監査請求を却下したが、9月に随時監査を行い、関係課に対して、行政財産使用の減免基準の見直しなどを求めていた。

滋賀県青年会館は1977年に増築してホテル業を開始し、1986年からレストランも運営している。こうした実態を知った滋賀県市民オンブズマンは住民監査請求を起こし、「年間1300万円の土地代を無償で40年間も貸し出し、過去5年分で5811万円の実質損害を与えたこと、40年分の損害額は少なく見積もって4億円にもなる」と主張。滋賀県に対して契約の見直しと正当な使用料を請求するよう勧告を求めた。また、無償貸し出しの事実が生じた原因には、県議や国会議員を務めた岩永峯一氏が、1968年の法人設立から現在まで50年間も理事長であったことから、県側が「忖度」したのではないかと主張していた。

滋賀県監査委員は請求を却下したが、波紋が大きかったことから、昨年9月に随時監査を行い、財政課と自然環境保全課と子ども・青少年局の3課に対して、減免基準の見直しなどを求める監査結果を11月に公表した。

三日月大造知事は2017年8月22日の記者会見上で、滋賀報知新聞の石川政実記者から「有力な政治家について県が忖度することはあり得るんですか?」と問われると、「忖度ではないのではないかと思います」と答えていた。

一般財団法人の滋賀県青年会館で、50年間も理事長を務める元農水相の岩永峯一氏。

↓ウィキペディア「岩永峯一」 抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%B0%B8%E5%B3%AF%E4%B8%80

1971年、滋賀県信楽町(現在の甲賀市)町議となる。1975年、滋賀県議会議員となり、5期務める。この間、1988年から1989年に同議会副議長、1990年から1991年に同議長を務めた。

1996年の第41回衆議院議員総選挙で滋賀3区から無所属で立候補して当選する。石破茂、新井将敬らの作った会派21世紀にオブザーバ参加の後、自由民主党に入党した。自由民主党では宏池会に属し、加藤の乱では加藤紘一と行動を共にするが、後に堀内派に移る。

第2次小泉改造内閣で農林水産副大臣に就任。2005年8月8日、農林水産大臣の島村宜伸が郵政解散に反対して罷免され、首相の小泉純一郎が農水相を兼任。8月11日に岩永が副大臣から昇格する形で農水相に就任。

8月19日から3日間、オーストラリアのブリズベンで開かれた5カ国農相会議に出席する。第3次小泉内閣では全閣僚再任という形で留任するが、10月31日の内閣改造で離任。農水相在任期間は82日だった。

2008年9月29日、健康上の理由から次期衆院選に立候補せず引退することを表明した。2009年3月3日、自民党滋賀県連会長を辞任。後継候補に三男の岩永裕貴を擁立する意向だったが、政治資金問題などから出馬辞退に追いやられた。その後、公募候補の武藤貴也が後継となったもの、民主党の奥村展三に敗れ落選。

↓滋賀県青年会館で営むホテル(アーブしが)の紹介チラシ

↓滋賀県青年会館の行政財産使用許可書と、子ども青少年局の使用料免除のお願い