新型コロナウイルス対策の大臣は、元通産省官僚で経済再生担当大臣の西村康稔氏が担っている。医療や保健行政を所管しているのは厚生労働省で、加藤勝信氏が担当大臣だが、コロナの対策大臣ではない。加藤氏の略歴を読むと、元大蔵省官僚。元通産省と、元大蔵省官僚出身の大臣らが、新型コロナ対策に関係する省庁のトップとなっている。

これまで、厚労省の施策は迷走続きで、加藤大臣の発言は責任転嫁が著しかった。

「新型コロナウイルス対策の陣頭指揮を執る加藤勝信厚生労働相の発言が波紋を広げている。相談の目安として示した「三七・五度以上の発熱が四日以上」が基準のように捉えられたとして、この文言を削除するのに伴って「われわれから見れば誤解」と述べた。まるで国民や保健所の理解不足が原因かのような物言いに、批判が相次いでいる。

2020年5月12日付・東京新聞

おすすめ本は大正時代の衛生局の記録

厚労省は、新型コロナ禍で、国民に「新しい生活様式」を勧めた。「身体的距離の確保」、「マスクの着用」、「手洗い」を挙げて、事細かに羅列している。

今回、ウオッチドッグがお薦めする本は、厚労省前身の「内務省衛生局」が、1918年(大正7年)から1921年(大正10年)に、3回にわたって猛威を振るった「流行性感冒(スペイン風邪)」に対し、どのような対策や啓発をしてきたのかを、記録した『流行性感冒/「スペイン風邪」大流行の記録』平凡社、2008年、だ。

「昔の人たちが考えた対策だから、古いものだ」と考えがちだが、全然違う。当時の人たちの科学的な思考と、抜群の情報収集を元に、ミクロだけでなく、マクロな視点で記録されている。

この本の巻末で、現代のウイルス学者が、解説していた。「本書の魅力と読みどころについて」から一部抜粋した。

 「流行性感冒」は、報告書の形をとっているが、単に本邦での流行の拡がりの疫学的資料、流行被害の羅列ではない。背景となるそれ以前の流行でや各国での経緯、そして、当時の世界の科学者の考え方を包含しつつ、たとえば病原体論争でみられるように、全ての局面で偏りのない判断を試みようとする真摯な科学的姿勢が随所に見られる。また、引用文献のしっかりした学術書でもある。その一方で、これといった有効な武器をほとんど持たず、それでもこの流行の拡がりを少しでも食い止めようと、その持てる資源と英知でこの流行に立ち向かった人々の軌跡を具体的に知ることができる好書でもある。
 情報過多の現代のために極端なイメージが先行しがちな現代人には、あの当時のような、たとえば人の密集を避けるといった感染予防の基本とか、学校対策とか官民あげての弱者救済、あるいは、たとえば、結果的には効かなかったかもしれないにせよ大々的に繰り広げられたワクチン接種など、常識的、普遍的な戦い方は、古めかしいというよりむしろ新鮮な感じがするかもしれない。時代が変わっても守るべき基本はここにある。

流行性感冒/「スペイン風邪」大流行の記録/内務省衛生局編
ウイルス学 西村秀一氏の解説文より

国民への啓発に力注ぐ/「予防心得」を作成

本文中で見つけたが、1919年2月に、当時の衛生局長(現代の厚労相)が、各都道府県知事宛で、「流行性感冒予防心得」(同年1月作成か?)を送付しているようだ。この「心得」を読んで、厚労省が、「3密回避」やら、新しい生活様式として打ち出しているものが、新しくもなんともないことがわかった。過去の人たちが経験を積んで対策してきたことと同じということだ。

厚労省作成「新しい生活様式」では、細々とした事例を出して、何のためにこれをやらせようとしているのかよくわからない部分もあった。昔の衛生局が作成した「予防心得」の中身のほうが読んでわかりやすいのはなぜだろうか。

流行性感冒(スペイン風邪)予防心得/大正8年1月/内務省衛生局作成

大正時代の内務省衛生局が作成した流行性感冒(スペイン風邪)の「予防心得」を書き写すと…。

はやりかぜは、如何して伝染するか

はやりかぜは、主に人から人へ伝染する病気であるかぜ引いた人が咳やくしゃみをすると眼にも見えない程 微細な泡沫(とばしり)が3、4尺周囲に吹き飛ばされ、それを吸い込んだ者はこの病に罹る。
かぜを引いて治った人も当分の間は鼻の奥や咽喉にこの病毒が残っており又健康な人の中にも、鼻の奥や咽喉に病毒を持っていることがある。これらの人々の咳やくしゃみの泡沫(とばしり)も病人同様危険である。

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ウオッチドッグ記者
すごくなーい? 大正時代に、すでに、新型の流行性感冒は、病者からだけでなく、無症状者からも感染することをわかっていたということ。

罹らぬには

一、病人または病人らしい者、咳する者には近寄ってならぬ。

病中話などするのは病人のためでもないから見舞いに行ってもなるべく玄関ですますがよい。
病家ではお客様を絶対に病室に案内してはならぬ。

二、たくさん人の集まっている所に立ち入るな。時節柄芝居、寄席、活動写真などに行かぬがよい。

急用ならざる限りは電車などに乗らずに歩くほうが安全である。
かぜの流行する時節に人に近寄る時は用心して人の咳やくしゃみの泡沫(とばしり)を吸い込まないよう注意なさい。

三、人の集まっている場所、電車、汽車などのうちでは必ず呼吸保護器(マスク)を掛け、それでなくば鼻、口を「ハンケチ」手拭などで軽く被いなさい。
「ハンケチ」も手拭もあてずに無遠慮に咳する人、くしゃみする人から遠ざかれ。


四、塩水か微温湯にて度々含嗽(うがい)せよ。含嗽薬なれば尚良し。
食後、寝る前には必ず含嗽を忘れるな。

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メディアは、大阪府の吉村洋文府知事のうがい薬の会見について批判をしていたけど、大正時代の衛生局は、流行性感冒の予防として、朝、夕の「うがい」を奨励していた。一方、うがいの主要目的は、口腔鼻咽腔を清潔に保つためとしているが、頻繁のうがいは、防御作用を有する粘液を粘膜面より取り去るので、合理的でないという者もいるということも記している。

罹ったなら

一、かぜを引いたなと思ったなら直に寝床に潜り込み医師を呼べ。

普通の風邪と馬鹿にして売薬療治で安心するな。外出したり、無理をすると肺炎を起し取返しのつかぬことになる。

二、病人の部屋は、なるべく別にし看護人のほかは、その部屋に入れてはならぬ。
看護人や家内のものでも病室に入るときは呼吸保護器(マスク)をかけよ。


三、治ったと思っても医師の許しのあるまでは外に出るな。
地震の震り返しよりもこの病の再発は恐ろしい。

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厚労省が、自宅療養のときの注意事項として書いていることと、ほとんど同じ。

他に気をつくべきことは

一、家の内外を清潔にし、天気のときは戸障子を開け放て。
部屋の掃除はなるべく塵埃(ちり)の立たざるように、雑巾掛けするのが一等。
家の周囲は塵埃の立たぬように先づ水を撒いて後掃け。
学校、幼稚園、寄宿舎、工場などでは殊にこれらのことに気をつけよ。
旅人宿、貸席などは客のない間は、必ず部屋の障子を開けておけ。

二、寝具、寝巻などは晴天の日には必ず日にさらせ。

三、用心に亡びなし、健康者も用心が肝心。
幼弱なる子供、老人、持病のある者は殊に用心せよ。

四、人前で咳やくしゃみをするときは公徳を重じ必ず「ハンケチ」か手拭などで、鼻、口を覆へ。

五、病人の痰、鼻汁などで汚れたものは焼くか煮るか薬で消毒せよ。
病室内の汚れたものの始末は医師に相談して、ぬかりないようにせよ。

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換気について言及してますね。室内の掃除では、拭き取ることや、子ども、高齢者、持病のある人は用心することや、汚れたものの消毒とか、やったほうがよい対策は今も昔と同じだった。

本文中で感心したのが、マスクについての検証だった。ガーゼや木綿の繊維数に触れ、枚数によって、菌を通すか通さないか、マスクの厚さによる効能の違いなどを記録したものもあった。

結論として、「大きさ鼻孔及び口を十分に覆ひ得る広さにして飛沫吸入を防ぐ可く『マスク辺縁』のよく皮膚に密着するものを可とする」と記録している。

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当時の衛生局は、鼻や口を覆い、皮膚に密着するマスクをよしとしていた。見本となる簡易マスクを、各地方の軍人会や青年団、救世軍、婦人会などが製造し、実費にて販売した。家庭での製作を奨励し、貧困者には、無償で給与した自治体もあったという。

飛沫漏れが懸念される小さい「アベノマスク」のようなものを、必要の有無にかかわらず、国民に全戸配布した今の厚労省の取り組みを、当時の衛生局員が見たら、なんと思うのだろう。高リスクの利用者がいる介護施設などへも、性能検証していない「アベノマスク」を追加分として送りつけようとしたとは…。

大正時代の衛生局局員らが書いた記録は、政治家や役人の思惑による誇大表現、ごまかし、取り繕いの検証記録ではなかったので、イライラせず読み進むことができた。新型コロナ第1波後に、滋賀県や大津市が公表した記録とも違う。

また、内務省衛生局は、江戸や明治期に起きたこれまでの流行性感冒の記録も探っていた。1889年(明治22年)、1890年(明治23年)の大流行時の記録が少ないことにも言及している。見つかった昔の記録を基に、「1889年(明治22年)の流行には、患者多く死者比較的少なく、翌1890年に病性悪化したる如く観取らせる」と書いている。この他、海外の事実から推察できるとして「本病が初発の当時には、一時に多数の患者を出すも病勢は比較的良好にて死亡率低く、流行の経過と共に悪性に変じ、肺炎などの合併症を発する者多く、従って高き死亡率を示し、その終息前には再び良性に還る状況は何れの流行に於いても其軌を同うするものなるべし」と記録している。つまり、流行性感冒は「最初の時期の病勢は良性もので、流行の経過と共に悪性に変わり、肺炎などの合併症になる者が多くなり、死亡者数が増える。終息が近づいてくると、また、病勢が良性となる」傾向がみられるとしている。

スペイン風邪は、西欧で流行し、日本には、3、4カ月遅れた1918年(大正7年)8月下旬より9月上旬に蔓延の兆しがみられ、瞬く間に全国に広がったという。スペイン風邪は、1921年(大正10年)7月まで、3回の流行を繰り返して終息した。海外よりの侵入は、1918年(大正7年)5月上旬に、南方方面より横須賀港に入って来た軍艦内で流行性感冒の患者が発生し、9月にも北米より横浜に入港した船舶に同病の患者が多数でた事実があったとしているが、これが初発と断定できないとしている。交通網の発達した都市部からその周囲地域に感染が広がったパターンは今と同じだった。

記録によると、日本国内のスペイン風邪の患者数は、21歳から30歳を最多とし、次いで、11歳から20歳、31歳から40歳、6歳から10歳、41歳から50歳と続いている。壮年者の罹患が多いが、死者は、高齢者が多かったという。

大正時代に、予防ポスターも作成

「流行性感冒」の本には、当時の国民に向けた啓発ポスターがいくつかあった。今でも使えそうなキャッチフレーズも。

悪性感冒 病人は成るべく別の部屋に/親と子の居間を隔て身を守れ/病の敵の宿に在る間は
流行性感冒 手当が早ければ直ぐ治る
恐るべし「ハヤリカゼ」の「バイキン!」/マスクをかけぬ命知らず!
「テバナシ」に「セキ」をされてが堪らない/ハヤリカゼはこんなことからうつる
含嗽(うがい)せよ 朝な夕なに

参照:厚生労働省のはじまり/ホームページから