徳島県那賀町で取材すると、堆砂の影響により本来の森林と河川の姿が大幅に変わっていることがわかった。町議会議員、重陵加さんの案内で、ウオッチドッグ記者は町内の山々や河川を視察した。取材記事は、森と水№1№2に続き、№3では、那賀町木頭にある黒野田地区の谷底が土砂でグランドのようになっている実態を取り上げた。

かつて谷底だった黒野田を後にして、車で数分の重さんの事務所に戻った。暑い日差しが照りつく昼間に動くのを避けて、夕方に蝉谷という地域へ向かった。重さんは、蝉谷に向かう途中の河川を見てほしいという。

吊り橋からの清々しい森林と河川

「これが本来の川ですよね」

重さんが車を停めて指さした方向に、大小のさまざまな岩々の間を流れる川があった。この河川は那賀川に流れ込んでいる。

「なんて美しい川だろう」。清々しい姿だった。

さわやかな山風が頬に気持ちよく、水の流れる音、鳥のさえずりが聞こえる。車を停めた場所からすぐ近くに小さな吊り橋があり、重さんが先頭に立って進んだ。ゆらゆら揺れる吊り橋の上から、川の流れる水を眺めた。

「かつて、蝉谷集落に住んでいる子どもたちが、この吊り橋を渡って学校に通っていたと地元の人から聞いてます」

重さんの説明を聞きながら、子どもたちが勉強道具をカバンに入れて、この吊り橋を渡っている姿を想像した。

ここに着くまで、龍神を祀る小さな神社があった。車で移動中に、重さんから「あそこにあります」と教えてもらったが一瞬だったのでわからなかった。後日、調べると「竜王宮」という名称の小さな小さな神社のようだ。四国は龍神を祀る宮が多い。昔から自然と共に過ごしてきた歴史の深さを感じた。自然を畏怖し、大事にし、自然と共に生きてきた人々の思いの証があった。

那賀川の本川もかつてはこのような姿だったが、今は土砂で埋もれてしまい、単調な河川の姿に変貌している。当時の河川の面影はとどめていないという。

①の写真は全てウオッチドッグ記者撮影(2025年7月6日・那賀川に流れ込む支流)

①-1 蝉谷地域に向かう途中の河川・小さな吊り橋があった
①-2 吊り橋から眺めた河川
①-3 木々や岩々の間を流れる河川

大小の岩々がない単調な河川

下の写真②は、那賀川の上流(木頭出原周辺)の姿だ。地元の人の話では、かつては河川にたくさんの淵があり、うなぎがわんさといたいう。子どもだちが泳げるような淵もあり、河川は地元の人にとって身近な存在だったという。林業が盛んなこの土地では、切り倒した木頭杉を運搬するのに、人々が杉を河川の上で転がしながら運搬する一本乗りが盛んだった。今はこの周辺では浅瀬のため一本乗りが行うことができなくなった。イベントとして伝承されているが、別の場所で開催されているという。

朝の早い時間に散歩しながら河川の様子を見ていて、「ここが川の上流?」と疑問をもった。川幅が狭いうえに浅い。上流特有の渓谷のような荒々しさがない。道路沿いには川幅よりも何倍も広い、白っぽい河原がある。蝉谷で重さんの説明を聞き、ようやく合点がいった。浅くなって広がる河原の部分には、かつての自然あふれる河川や大小の岩が眠っている。

単調な流れに変わった河川は、大雨の際は蝉谷の河川のような流れを緩める岩々がないため、激しい流れのまま濁流となって下流へ流れこむ。

効率のため、皆伐で木々を根こそぎ刈り倒す。洪水防止のためという目的を掲げて人口のダムをあちらこちらで作り、河川の流れを止める。河川が流れないことにより、土砂が溜まり続け、上流の河川の姿を変えてしまう。人の手により、森林という緑のダムが破壊されて、洪水をひき起こしているようにしかみえない。「洪水防止」のためとしつつ、実際は、洪水を起こしやすい環境を人間自ら作っていると言えるだろう。

(次回につづく)

②の写真は全てウオッチドッグ記者撮影(7月6日・木頭の出原橋にて)

②-1 徳島県那賀町の那賀川上流・木頭出原橋より眺めた風景
②-2 単調に流れる浅い河川

↓写真①(水色)と写真②(紫)の撮影場所を、重さん作成の地図に加えた