大規模な工事が、徳島県内の山々や河川などの自然環境を大きく変えることになった。元々の情報不足や見積もりの甘さ、人間の力で自然をコントロールできるという過信。こうした見切り発車で突き進んだやり方がダム建設計画の根底にあったと言える。明らかな旧建設省(現在の国土交通省)の計画失敗だ。しかし、誰も責任をとってはいない。
ウオッチドッグ記者は7月上旬、徳島県那賀町にある那賀川周辺を取材した。
徳島県那賀町にある長安口(ながやすぐち)ダムは、一級河川那賀川の中流部に位置する。徳島県の那賀川総合開発事業として1955(昭和30)年に建設された。国土交通省・四国整備局・那賀川河川事務所のホームページの資料によると、想定を超える堆砂が進行し、現在は建設当時に計画した3倍の土砂が堆積しているという。
想定を超える堆砂の問題が深刻化すると、堆積した土砂を機材を使って掘り起こし、ダム下流の河岸や上流の山々の谷底に置く。その作業を繰り返している。さらに、堆砂を以前より低い位置で放流できるように、2020年に529億円をかけて長安口ダムに選択取水設備を設置した。長期的な堆砂対策として、土砂を運ぶベルトコンベヤーを長安口ダムに設置する計画もあり、総工費は452億円を見込んでいる。
計画当初の堆砂対策の費用は400億円だったが、現在は1,070億円にも膨らんだ。旧建設省の計画失敗のツケを、現在と将来世代が払い続けている。

国土交通省・四国地方整備局の那賀川河川事務所のホームページ(上記資料)によると、長安口ダムに想定量を超えて溜まった堆砂の原因は、1976(昭和51)年や2004(平成16)年などの土砂災害だと説明している。グラフを見ると、年間堆砂量(ピンク色の棒グラフ)は年によって大きな変動がある。ほとんどゼロの年もある。しかし、累計堆砂量(赤色の折れ線グラフ)は右肩上がりになっている。統計が始まっている1956(昭和31)年移行、減った年はない。つまり、数十年に一度の大洪水によって一気に堆砂量が増加したことだけでは説明がつかない。一方、国の資料では、森林荒廃やダムの影響によるものとは説明していない。

ダムの3分の1が土砂
長安口ダムの貯水容量は54,278千㎥(※東京ドーム体積の44個分)。1950(昭和25)年のダム着工当初の計画では、想定した堆砂容量は5,294千㎥(※東京ドーム体積の4個分)だった。約25年経過した1974(昭和49)年には想定した堆砂容量を超えた。2019年時点の堆砂容量は約19,278千㎥(※東京ドーム体積の15個分)にも増え、総貯水容量の35.5パーセントに達している。つまり、ダムの約3分の1が、水ではなく、土砂で埋まっている。
2016年に開催した国土交通省・四国地方整備局の「長安口ダム貯水池機能保全技術会議」では、増え続ける堆砂の問題について取り上げていた。WEBで公開されているPDF資料によると、「1950年当時は、堆砂容量についての議論が不明であった、水文資料や周辺の地形、地質の情報が乏しかったことが推定されることから、堆砂量の予測は困難な状況であったと考えられる」とある。

↓那賀川総合開発事業(追立ダム、小見野々ダム、長安口ダム、川口ダム)

