明治37年(1904年)1月25日発行の滑稽新聞が、大阪府水上警察署・署長の収賄を報道した。その報道を受けて大阪府警察部が官吏侮辱罪で滑稽新聞社を告訴し、大阪地方裁判所検事局が告訴を受理し起訴した。2月26日に大阪地方裁判所で裁判が始まった。滑稽新聞社は3人の弁護士が法廷に立った。伊藤秀雄氏、横山鑛太郎氏、野平穰氏である。記事中の裁判の模様を再現した。

被告の宮武外骨

(萩警視の賄賂についての投書)告発の始末と手塚検事正の報告談とを掲載したもので官吏侮辱罪の悪意はないです。また投書を提出した前に贈賄の事実があったことを間違えのないこととして確認しました。

佐藤検事

記事の全文を通読すれば暗に賄賂を取ったりという意味を表しているので、官吏侮辱犯である。

横山弁護士

本件は告発のてん末を掲載したまでのもので、記事の全体についても、萩署長が賄賂を取ったりと断言したのではないです。検事の答弁によれば、被告の宮武がかつて告発書を提出したのも事実。手塚検事正が宮武を呼び出して、その捜査報告の大意を話したというのも事実です。されば、宮武と検事正との問答記事も検事局からは、その多分を取り消されているが、それは何かの都合であって、事実は事実で相違ないです。

だいたい宮武という男は平常から嘘を書かないのが特色で、威厳ある検事正との問答などを捏造して書くような人物ではないです。されば、本件は告発の顛末を掲載したまでのもの。記事外の想像は読者の判断にあることで、官吏侮辱罪を構成するべきものではないです。

伊藤弁護士

本件は事実の立証を許されて、萩署長が果たして一時、賄賂を取っていたか否か、投書者の信念などを取り調べて弁論したいと思いましたが、
被告(宮武)は何ゆえかその事実の立証請求を拒否する様子なので、本職は強いて立証を望まないようにして弁じます。およそ警察官の犯罪嫌疑事件を同じ警察官に依頼して捜査しても、その事実を挙げてくるはずはないと思います。もし収賄の事実がなかったとしても、滑稽新聞の記事は、3日後に返したと検事正の談話を報道したまでのもので、官吏侮辱罪の悪意はなかったです。

野平弁護士

被告の宮武は正直で裏表がなく、知人の行為でもその醜悪さを見つけたら遠慮なく公然筆誅を加える等、常に陰ひなたのない男、かかる偏屈の人物は当世に不向きです。

これと反対に、手塚検事正は極めて円満な主義をとってこられて、かつて無遠慮な宮武を呼び出して「大阪警察内の悪事を暴く時は、掲載前に一応、私に知らせてほしい。そうすれば当方で憲兵隊本部に頼んで捜査させるから」と言ったことを、宮武はこの言葉を正直に捉えて、こんな投書がきましたと提出すると同時に、紙上に公然と掲載しました。

検事正はなおも円満主義で「この件は警部長に頼んで捜査したが事実が挙がらない。3日後に返したという報告なので、次号の紙上には穏当に書いてもらいたい。収賄罪の成立がしないことになった後でも、なおも、過激なことを書いては、警察部のほうから出てくる官吏侮辱の告発を受理しなければならなくなる。結局、双方の不利益であるから、どうか穏当に穏当に・・」と胸襟を開いて懇談したが、それも宮武はやはり正直に、穏当のつもりで、3日後に返したということだと書いたのです。

ところがこれを見た手塚検事正は、あれほどまでに注意を与えたにも関わらず、またこんなことを書いている、これでは私が困ると、ついに検事正の立場として、本件の起訴をやむを得ざるしたということだろうと察します。そういうことなので、本件が有罪か否かを論じるまでもないと信じます。

明治37年(1904年)2月26日に裁判所で弁論をしたが、そのわずか5日後の3月2日に早くも判決が出た。結果は、重禁錮1か月半及び罰金7円(現在の貨幣価値で約7万円)だった。

第65号の記事に対する官吏侮辱罪の判決/禁錮と罰金

宮武外骨はこの判決にが然、反発した。「野蛮な判決」として控訴すると同時に、68号の紙面でも「3日間の収賄論」の記事などで追及を開始した。ついには69号の記事で、警察部の怒りにさらに火をつけることになる。怒涛の69号の紹介は次回に。