明治のジャーナリスト宮武外骨は、滑稽新聞を発行3年目の明治36年9月20日の第57号で、滑稽新聞はこんな新聞という自負満載の記事を書いた。タイトルは「外にありますか」。
記事をそのまま掲載する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今さら、喋々と述べなくても先刻ご承知の方も多いだろうが、近年は追々と人間の感情が薄弱になって来たので、一度言ったことを二度も三度も言わなければ腹に染まないようになっている。そこで、滑稽記者がうるさくも、また言いたいことがある。
第一に官吏、議員、新聞屋等のユスリ行為や賄賂取を攻撃したり、詐欺広告の姦策を攻撃したりすることを専門にしている新聞が外にありますか。
社会の多数人を害することでない一個人の非行を暴いて、隠居がどうしたとか娘がどうしたかというような私事にわたったことを、爪の垢ほど載せない新聞が外にありますか。
金になりさへすれば人を害することを何とも思わずにインチキ、イカサマの詐欺広告を載せるものが多い当今において、断然、之を拒絶して、一切掲載しないということにしている新聞が、どこか外にありますか。
公開私開の全ての集会や宴会に行けば、必ず情実を作るからと、一切その招待に応じないという見識のある新聞記者が、どこに外にありますか。
銀行や会社はもちろん、所謂、地名の紳士連中のところへは一度も足踏みせず、その顔すら知らないほうがよいというような方針の新聞記者が、外にありますか。
大打撃だとか筆誅だとか最初は口はばったい言い分を並べておきながら、いつの間にかうやむやの立ち消えにするのが多い今日、一度書いた以上は、あくまでもこれを継続してその結局を見ずんば決して止まないという新聞が外にありますか。
同じような悪漢を一方の奴に対しては攻撃するが、他の一方の奴に対しては黙っているというおにの沙汰が多い世の中に、総くるめてドレがという残りなしに片っ端から敲きつけていく新聞が外にありますか。
過激だとか癇癪持ちだとかいうことは、普通の者が忌む言葉であるのに、殊更、これを打ち出して、立派に世間と共に戦おうとしている新聞が外にありますか。
期日に遅れず、毎号発行しようと思えば、いかようにでも出来るものであるが、わざわざ「例の遅延」ということを標榜してまで、追っ付けの編集をせず、一記事といえども苟もせざる新聞が外にありますか。
万一外にあったならば、我滑稽新聞も天下普通の物と見做されて宜しいが、ヘン憚りながらないとするぞ。どうだ、滑稽新聞様はエライものじゃろ。
※写真は、明治に建設された泉布観(せんぷかん)です。宮武外骨の似顔絵と現存する明治の建物をコラボさせています。
◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆
参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという