滑稽新聞は、明治41年6月5日の第164号で、2ページにわたり四天王寺「撞初式」の模様の特集を組んでいる。その後、鳴らない大釣鐘をめぐり、当時の在阪メディアなどが、「鳴るか鳴らぬか」をテーマに、喧々囂々の報道をしていると、第164号の「近時雑報」と第165号(6月20日)で紹介している。

164号の「近時雑報」では、「その鋳造の成績十分良し」と6年間にわたり、寺の提灯持ち記事を書き続けた大阪朝日新聞が、「昔に鋳たものでも知恩院や大仏の大梵鐘は鳴るのだから、大梵鐘の鳴らない道理はない」とし、「いかに鳴らすか」という記事にシフトしたことを、「恥ずかしくないのか」と批判している。

さらに165号では、「鳴るか鳴らないか四天王寺の鐘」という見出しで、大阪実業新報が、青年力士数名を雇って、「鳴るか鳴らぬか」の読者の投票をするという、ばかげた興行を始めたことを紹介。その交渉として、大阪実業新報の社員が、寺側へその交渉の談判に行ったやりとりを、「記事は、長かったけど面白い」として転載している。

大阪実業新報の社員が「鳴るか鳴らぬか」を試させてほしいと交渉をすると、寺側は「鳴らないことはない。新しい梵鐘は、撞くごとに動揺するので、音の出方が悪い。1年間もすれば鳴る。この鐘の鐘楼は、狭いところに建立されたので、撞くのに不便な点は免れない。これには理由があって、この鐘は、当初、撞くために鋳たものではなくて、記念のために作ったものである」と答えたと伝えている。

この発言に対して、大阪実業新報は、「寺は、大梵鐘を記念として作ったと言っているが、広く全国より寄付金を集めること20余万円(※当時の貨幣価値)、冥福を祈るとして、女の魂として珍蔵してあった鏡やその他種々の金属を寄付させ、幾多の労力を費やして、記念のために鳴っても鳴らないでもよい鐘を鋳たとすれば、法律上の詐欺行為ではあるまいが、これは変である。嘘も方便で済まされぬであろう」と書き、「平素は撞かぬ鐘だとしたら、どうして撞初式をしたのか。撞初めという以上、必ず撞かねばならぬ。鳴らねばならぬじゃないか」と突っ込んだとしている。それに対して寺側は、「イヤ、アノ、ソノ、ほんの一寸、寺の賑わいのためにやったことで…」と釈明した模様を伝えている。

この大阪実業新報の記事について、宮武外骨は、「奴坊主の遁辞もその極に達して苦しい言い訳の様子が目に浮かぶようだ。ハイ、割れてますと白状すれば何のことはないのに。あくまでもその非を覆うとするから、こんな虚言を吐かなければならないのだ」と書き、さらに、「撞くために鋳たものではなく、記念のために作ったというが、同寺が明治36年3月に寄付金集めに出版した冊子には『将来、永くこれを鳴らして・・』と書いているじゃないか」。「イカサマの奴坊主」と吐き捨てている。

◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという