明治の新聞記者は、明治政府による「新聞紙条例」などの言論封じの法律によって、度重なる発売禁止や罰金などの処罰を受けていた。そんな記者たちの受難の時代に、新たな言論封じの法律「新聞紙雑誌ノ取締ニ関スル件(勅令第206号)」が明治38年9月6日に発布された。
明治のジャーナリスト宮武外骨は、「畏るべき新法律の発布」というタイトルで、この法律の発布を明治38年9月12日発行の滑稽新聞で批判している。
一部をそのまま掲載する。
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大抵のことには驚かない滑稽記者でも、この新法律にはいささか大いにヘコンダのである。それは、この新法律中の発行停止という一事のためである。
この発行停止ということは、憲法の人権自由を無視する規定である。専制時代の遺物であるとて、今から10年前に削除された項目を、今度また再現させたのであるから、日本政府は野蛮時代に退歩しつつあるのである。露化しつつあるのである。
一旦帝国議会で削除した法律の条目を自己の非を遂げんがための一策として独断でこれを発布するというのは、立憲政府ではない。専制野蛮暴圧の甚だしいものである。なんかんと今やかましく論じた所で、ここ10日や20日の内にこの新法律を廃止する事もあるまいから、理屈は後回しにして置いて、差し当たり、我々が驚いた理由を述べよう。
それは、条例違反として発売を禁止されたり、処罰されること位の事は左程にもないが、今度の発行停止には、どこの新聞社も閉口しているのだ。日刊のものなれば1週間乃至7週間、月刊のものなれば1ヶ月乃至6ヶ月位の間は、全く休業せねばならぬのだから、その有形無形の損害は、実に少なからんのである。その上、停止中は自己の意見を発表する事も、世論を発表することも出来ないのだから、遺憾この上もない境遇に陥るのである。東京では、今度早5新聞ほど停止されたが、目下の情勢、その苦痛のほど察するに余りありだ。
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次頁では、「滑稽記者は軟骨にあらず」というタイトルで、滑稽記者は、決して軟骨ではない、今さら軟化しないとしながらも、発行停止になってしまえば、意見を世間に発表することができなくなる、それでは、一向につまらないので、「細く長くやる」方針をとる、と宣言している。
最後に「これ程にしても、平常、我が滑稽新聞を憎んでいる当局者共は、何とか名目を付けて数ヶ月間の発行停止を命ずるかもしれないが、もしもソンナ事があったら、我が滑稽記者は黙って引っ込んではいないよ。必ず他のある方法で お目にかかる 」と締めくくっている。
◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆
参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという