宮武外骨の滑稽新聞は、罰金や発行停止などの筆禍をたびたび被った。明治時代は自由民権運動が高まった。政府は反政府的な言論を掲載した新聞を取り締まる新聞紙条例を制定した。新聞発行の許可制や、違反者への罰金・懲役など、新聞記者にとっては、受難の時代だった。
宮武外骨は罰金や発売禁止の処分を受けても、書きたいことを書き続けた。風刺とユーモアを使い、とことん自由な言論にこだわった。
明治35年1月1日に発行した滑稽新聞・21号でも、本領を発揮。新年号のため、仕掛け満載の編集となっている。附録あり、大相撲番付のパロディ版「大阪廣告詐欺師番附」あり、滑稽広告ありと、滑稽新聞の愛読者なら、クスリと笑えたはずだ。
付録の実物は色刷りだった。タイトルは「いかさま(紙鳶樣)」。凧(紙鳶)に、紙幣を握りしめる詐欺師の絵や、「ユスリ」、「はったり」の文字を入れている。描かれた鳥は「鷺(サギ)」だろう。極めつけは、詐欺師の野口茂平をイメージした野蜘蛛の凧。野蜘蛛の顔がのっぺらぼうなので、読者が「へのへのもへじ」を自由に書き込める工夫もしている。
「大阪廣告詐欺師番附」は大相撲の番付表を模している。滑稽新聞が紙面で批判している詐欺師の名前がずらり。「大関」に名前をあげているのは、にせ薬の「毎月丸」を販売している丹平商会。滑稽新聞社は丹平商会に対して、堕胎薬の詐欺広告を掲載していると、検事局や警察本部へ告発していた。行司には、これらの詐欺広告を掲載している大阪朝日新聞と大阪毎日新聞を入れている。勧進元は出版社となっている。
こちらは滑稽新聞に掲載している良識広告。それでも「本誌の広告中、怪しきものあれば編集者宛にご通知を乞う」の文字を入れている。
次の広告には、滑稽新聞社のパロディ広告を入れている。下記の2つの会員の氏名は、「歌川シイ(うたがわしい=疑わしい)」など、語呂合わせ。どんな名前が出ているのか、試してみるとおもしろい。野口茂平らの名前を使ったブラックユーモアの広告もさりげなく入れている。
◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆
参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという。