ウオッチドッグは、調査報道の源流を探るため、明治時代の「滑稽新聞」の報道について毎週水曜日に紹介している。「滑稽新聞」はジャーナリストの宮武外骨を主筆として、明治34年1月から明治41年10月までの8年間に、毎月2回発行された。その宮武外骨の著作を研究してきた吉野孝雄氏や作家の赤瀬川原平氏が、膨大な量の「滑稽新聞」を編集してまとめた「滑稽新聞」(全6巻)が、1985年に筑摩書房から発行された。

ウオッチドッグ記者は全巻を入手し、1つ1つの記事をじっくり読んだ。そして、こう思った。

「人間のやることは、100年前の昔も今も変わらん。歴史は繰り返す」

激動の明治時代に、さまざまな圧力をうけながらも、真実をありのままに報道し続けた宮武外骨の「滑稽新聞」は、現代の記者にとっての羅針盤のようなもの。現代の問題を、いかにして取り組めばよいのかという進むべき指針が見えてくる。

そこで、滑稽新聞のどんな記事がウオッチドッグ記者の共感を呼んだかを紹介する記事をつらつらと書いてみることにした。題して「昔も今も」。いつもの【調査報道の源流】シリーズとは違い、その時、その時に感じ入った記事を紹介する。

今回は、明治41年6月5日発行の滑稽新聞の記事を紹介しよう。議会選挙の記事だ。

明治41年の選挙で、現在の人物を投票せず、「石川五右衛門」や「鼠小僧」、「菅原道真」などの歴史的人物を投票している国民がいたという。当時の新聞雑誌は、「立憲国の選挙民たる者が、こんな不真面目な投票をするとは、愚劣な悪戯だ」と非難していたようだが、外骨は「ちょっと待てよ」と異論を唱えている。

「投票する者の精神からいえば、選挙権は固より尊重すべきものに違いないが、現在において候補者だと自分で名乗るような奴には、一人としてロクな者はいない。立派な人物を求めて、それに投票しようとしても、少数投票では、到底、醜運動に麻痺した衆愚の悪勢力に勝てないから、真面目に投票して、みすみす悪魔のために敗れるよりは、どうせダメなら、風刺的に昔の人物を投票して、天下を馬鹿にしてやろうと、ヤケ半分に滑稽投票をやるのである」

滑稽投票に走る有権者の心情を、このように分析している。この気持ちわかると思った。

ウオッチドッグ記者は、公金に絡んだ議員らの醜聞を、数々の資料で目にした。農水大臣まで務めた岩永峯一元議員が理事長を務める滋賀県青年会館は、年1000万円もする県有地を滋賀県から無償で借りておきながら、一般客相手のホテルを営業。それだけでなく、滋賀県から青年会館へさまざまな名目で補助金が支払われていた。しかし、その実績報告書に、領収書が1枚もついていなかった。土地代タダで、領収書の報告が必要ない補助金を受け取っている滋賀県青年会館から、岩永峯一元議員へ年480万円の理事長職の報酬費が支払われていた。

大津市議会では、泉恒彦元議員や西村和典議員が、市の公金を使い、地元の自治連合会長らと宴会や旅行に参加していた資料も見た。議員の親族企業が、迷惑料(補助金)で、建設工事をたっぷり請け負っていた資料も見た。滋賀県議会の佐野高典議員は、横柄な電話応対で、自身が役員を務める団体の廃棄物処理法違反の疑惑については、知らんぷりだ。こんなのは氷山の一角だろう。

宮武外骨は、この滑稽新聞の記事の中で、投票用紙に名前があった「石川五右衛門」や「鼠小僧」について、こんな解説を加えている。「石川五右衛門や鼠小僧は、大盗だが『義賊』で、一種の義のために活動していたが、悪政府党の議員共には、一片の義心もないじゃないか」と。

さらに、長野県の某群で、国民全体の声を代表したような滑稽投票があったことを紹介。
投票用紙に墨で黒々と、「酷な政府に我利我利(ガリガリ)議員、税に泣くのは民ばかり」と書いてあったという。外骨は、一点の朱を入れる余地もない傑作だと褒めちぎっている。

ウオッチドッグ記者も、明治の名もない庶民が書いた「我利我利議員」というフレーズは、傑作だと感じた。そこで、「我利我利議員」を使った新コーナーを立ち上げる構想を思いついた。準備ができたら、ご紹介しよう。お楽しみに。

◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという