宮武外骨は、明治34年12月5日付「滑稽新聞第19号」で、「詐欺師 野口茂平」の3回目の特集を組んでいる。要約するとこうなる。

「詐欺師茂平が、自家の発明と称し、不正の利益を貪らんとする肺労散が無効ということを証明すれば事足りること。読者は、本誌が再三掲載している分析、その他の記事で、この売薬が自画自賛的な平凡な無効薬ということを知ることになるだろう。今、その詐欺的、瞞着的な売薬ということを充分に証明したら、茂平が詐欺師だということが明確にできる」。

茂平が発行した「肺病新論」という冊子の別附録に、肺労散服用者の礼状または、有効だったので、再び注文するとした人たちの住所、氏名が記載した書状の写しがあった。その手紙は560葉あったが、滑稽新聞社が入手できたのは178葉。その中で、茂平の知人や雇人等の父兄の名義を利用した書状ではないと認めた40人を選抜し、往復はがきで、その40人の自宅へ「効能や病状の経過を回答していただきたい」と依頼した。

この40人の照会状に対して、31通の返信がきたが、死亡していなかったのは、わずか3人に過ぎなかったという調査結果を掲載している。つまり、別附録にあった礼状などは偽造であったことが判明している。

また、肺労散服用者という欄では、身内を亡くした親族らのハガキを紹介し、詐欺被害者の声を報道している。

 

◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという。