ウオッチドッグ記者は、メディア業界でいわれているような「調査報道」と違う「調査報道」を頭の中でイメージしている。巷で「調査報道」と言われている記事を読んで「こういうことが明らかになって、こんな特ダネになったんだ。すごいね」とは感心したが、実はさほど感銘は受けなかった。

そんなある日、たまたま、明治の宮武外骨が編集した「滑稽新聞」を読んだウオッチドッグ記者は、「これは、すごい」と心の底から震えるほどの感銘を受けた。明治の新聞なのに、その筆力と表現力に釘付けとなった。

外骨は、様々な弾圧を受けても、“おきあがりこぼし”のように何度も立ち上がって書き続けた。1度、問題提起したネタは、繰り返し書き、末路に至るまでしつこく書き続けていた。

「滑稽新聞」を読み進めると、明治時代の社会構造の腐敗、これから突き進む問題がありありと目に浮かんだ。いくつもの報道を重ね、ありとあらゆる表現方法を駆使しながら、リアルな社会問題を読者に突き付けていた。

「調べて調べて、書いて書いて、闘い続ける。これが、明治の調査報道だ」と思った。

外骨が伝えた明治時代の社会構造の腐敗は、そっくりそのまま現代にも当てはまるように感じた。構造が同じなら、同じことが繰り返される。そこで、明治の腐敗と、現代の腐敗を、双方から引っ張り出し、同じ土俵に並べてみようと思った。そして、その腐敗構造を明らかにし、叩き潰す。

深いところに隠されている真実を炙り出す。何年かかっても見つけ出す。しつこく書き続ける。そして、次の世代へ託す。これが、ジャーナリストの役目だと、ウオッチドッグ記者は、宮武外骨の「滑稽新聞」で学んだ。

しばらく休載していた「滑稽新聞」の紹介をウオッチドッグで再開する。その前に、「記者の心得」を書いた外骨の「滑稽新聞様三」を再掲載する。ウオッチドッグ記者のお気に入り記事のひとつでもある。特に「面の皮の厚い奴が多いのであるから、法律の許す限りは極めて過激に、極めて痛酷にやらねばならぬ」という部分には、取材で目にしたカネに汚い連合会長や議員らの名前を浮かべ、「まさに、その通り」と唸った。

滑稽新聞社様(三) 

非常の熱心と非常の胆力で極めて過激に極めて痛快な記事を載せ、いわゆる日本一の新聞をこしらえて、社会の実益と自己の存立を計るには、従来の新聞の真似事をしては到底ダメである。都合の好い時ばかりの大言や、読者招きの看板のみでなく、実際、行往不断に
「威武に屈せず、富貴に淫せず、ユスリもやらず、ハッタリもせず」
の精神で、強がり者イジメ、詐欺屋征伐等、直言直筆をやって、記事の主旨を貫通せしめるようにせなければならぬ。
それには、大きな政治上の空論などを避けて、なるべく俗耳に入りやすい卑近な方向を手始めにして、同一記事を反復せねばならぬ。一度書いたことは二度と書かぬなどとは言わず、その実効を奏するまでは、何度でも繰り返すこと。

次に情実を避けねばならぬ。情実を避けようとするには多数人との交際をせぬこと。招待などには一切応ぜぬこと。いくら情実を避けようとしても交際して懇意になっている人のことは、イザという時、自分の思うままに直筆しがたいものである。

別して招待に応じて酒食を供せられたりしては猶更の事である。イヤイヤそのような事ではマダ勇気が足りない、真実、社会のためと思うならば、朋友であれ、知人であれ、饗応者であれ、遠慮はいらぬと言う人もある。なるほど、理屈はそれでよいが、やはり人情に反するから、なるべく始めより交際をせぬに限る。

次に社会の多数人を害する奴を主として筆誅せねばならぬ。一家の私事などや後家の醜聞とか、娘の淫乱とか、夫婦喧嘩するの借金山の如しのという事は、直接に社会の多数人を害するものでもないから、そんなことよりは、直接、間接に世間を害する新聞社の脅喝やハッタリ、詐欺広告屋の奸策、官吏議員の収賄などを手ヒドク攻撃せねばならぬ。

またその攻撃をするのには過激と痛酷が必要である。今日の社会は、腐敗の上に腐敗を重ね、堕落の下に堕落しているのであるから、普通平穏の忠告文メキたる事やアテコスリ位ではその記事の効能が現れない。面の皮の厚い奴が多いのであるから、法律の許す限りは極めて過激に、極めて痛酷にやらねばならぬ。

それでようやく凡そ明治20年頃のアテコスリ位の効能しかないのである。社会の現状が今日のようになっては、滑稽特有の風刺などは、ホンの娯楽的なものであって読者に興味を与えるに過ぎない。当人はフフンと言うくらいで省慮も改心もしない。

社会の制裁力が緩んでいるだけ記事の筆鋒は過激に痛酷にやらねば、とても実効を奏する事はできぬ。いつも俗官が眼玉を丸くする位の記事を満載せなければ、社会の実益と自社の存立を計る事ができぬ。迫害を受けて牢死するも、また一興であろうと。