1903年(明治36年)の内国勧業博覧会にあわせて、隣接する大阪・四天王寺では世界で一番大きいとされる大釣鐘(高さ8メートル、重さ157.5t)の鋳造が計画された。明治のジャーナリスト宮武外骨は、前年の計画段階から、「滑稽新聞」紙上で「世界無二の大金儲」と寺の商魂を批判していた。その第2弾として、「大釣鐘の音が、どんな音がするのか、小懸賞で読者からの予想を募集します」と、ユーモアたっぷりの中に痛烈な皮肉を交えた記事を掲載している。

1902年(明治35年)11月20日の「滑稽新聞」第38号では、次のように書いている。

奈良の大仏の大釣鐘は、この半分(四天王寺の大釣鐘)にも足らないのに、その響きは土を叩くように「ドヅン」と鳴るだけ。天王寺の大釣鐘は、前例のない大仕掛けであるが、理学の進歩した今日に設計するものだから、まさか、「ドヅン」となるようなヘマな事もあるまいと信じるが、聞けば集めた金は坊主共の鼻の下、臍の下の建立費にたくさん使いすぎたやらで、良い地金を買う銭がなくなったので、鉄の古釜や古釘の折れなど主な原料にするのだから、ドーセ、ロクな音はしないという説がある。

続けて「本社は例のハッタリならぬ小懸賞法によりて、本誌読者諸氏の予想を募集する事とする」とし、その例として「僕は、ウーンと言うて銭がうなるような音がするに違いない」とか、「破れ鍋を叩くように、ビーンという音がするであろう」とか、皆さまの想像通りにご勝手に投票してください、と呼びかけている。

そして、最後に、こんな言葉で締めくくっている。

「聞いたか、聞いたか、天王寺の大釣鐘、聞いたぞ、聞いたぞ、世界無二の馬鹿建立」
「聞いたか、聞いたか、大釣鐘の音響投票、聞いたぞ、聞いたぞ、世界無二の小懸賞」
コンと撞きやナンと鳴る・・・オポポンのポン。

明治時代に四天王寺が建立した大釣鐘は、高さ約8メートルで、重さは157.5t。東大寺の釣鐘の2.4倍の高さ、2.2倍の重さという前代未聞の巨大さだった。

◆解説◆
日本の釣鐘で有名なのは、奈良の東大寺の釣鐘で、高さ3.3メートル、重さ70t。現存している釣鐘で、一番重いのは、京都の方広寺で、82.7t。東大寺の釣鐘と同じ大きさは、京都の知恩院の釣鐘で、3.3メートル。

ウィキペディア「梵鐘」より。

 

◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという