明治36年3月1日から7月31日まで、大阪で第5回内国勧業博覧会が開催された。多くの国民が博覧会で浮かれ騒いでいる中、宮武外骨は、調査報道の本領を発揮。博覧会の目玉余興の「学術人類館」を茶化して取り上げたり、「賄賂官吏醜影録」を掲載したりと、博覧会に関係する官吏らの本性に着目している。

滑稽新聞の「学術博覧会」は、「官吏人種」や「イカサマ人種」といった汚職官吏や、詐欺師を人種分類している。

「賄賂官吏醜影録」では、大阪博覧会建築請負に関する醜聞などで会計課長などが勾引された事実を報道。さらに、醜聞の多い出品課長が捕まっていないのはなぜか、当局者が、何の取り調べもしないとは何事か、と当局者への不信を露わにした記事を掲載している。

宮武外骨の著作を研究している吉野孝雄氏が編集した筑摩書房「滑稽新聞」の解説によると、会場となった天王寺周辺は、西洋の町がそのまま大阪に出現したようなもので、大変な賑わいだったという。会場までは、ポンポン船を走らせるなど、人力車に代わる新たな水上の交通機関も出現していた。

◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという