大阪で開催する第5回内国勧業博覧会にあわせて、四天王寺が計画した大釣鐘をめぐり、滑稽新聞は明治35年(1902年)4月から、「世界無二の大釣金儲」だと、数十回にわたりと批判してきた。そして、最初の報道から6年後の明治41年(1908年)6月5日の第164号で、「大釣鐘の破壊」という、既報が事実であったことが、撞初式(つきぞめしき)であらためて確認されたと伝えている。

第164号は、天王寺の大釣鐘がボンとしか鳴らなかった撞初式の滑稽な顛末を、各社の報道を交えて、2ページにわたって特集を組んだ。この中で、寺側が寄付金を募り出した明治35年の早い段階から、滑稽新聞紙上で「吉田大賣主のタクラミであるから、ドーセロクな真似はしない」と釣り鐘建立を名にした金儲けだと批判してきたと、振り返っている。寺側は鋳造後も鐘が破壊していることを隠蔽し、種々の口実にて寄付金を募り、6年に至るまで木戸銭を貪って観覧させたとしている。さらに、もっともひどい話として、撞初式の3日間に、木戸銭1人30銭という不当な金を貪った事実からも、吉田大賣主らに、金儲けのほか何等の誠意がないことは明らかだと断じている。

当初、「世界無二の大梵鐘であるから、響音三里に渡り…」と寺は言ったものだが、響音三里どころか、境内三丁以内の茶店のその響音を聞き取れなかったとし、滑稽新聞の社員も聞いていたが「牡丹餅に鼓うち、犬糞をたたくような調子だった」と伝えている。

他紙の報道として、釣鐘の提灯持ち記事を書き続けた大阪朝日新聞でさえ、今回はこう書いたと紹介。「10万億土に響くという釣鐘がロクに響かず、ただブルブルというだけであったのには群衆なかなかやかましかった」。

さらに、大阪新報の報道として「天王寺の鐘がボンという音響を発するといって不服をいう人もあるけれども、もとよりボン鐘だから仕方がない。さて、そのボン鐘の撞初式も昨日でいよいよ終了を告げたが、差の如き投書があった。ちょっと面白いから掲げておく。「撞初の噂は高く音は低し、われかへるほど人を釣鐘」などと紹介している。

宮武外骨は「ドーダ、これまで滑稽新聞様の記事を信じなかった間抜け共でも、今は感々服々の至りだろう」と書き、「地を打つ槌は外れるとも、滑稽記者の言ったことにソツはないョ」と、「予言の的中」と銘打った特集を締めくくっている。

◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという