明治のジャーナリスト宮武外骨は、滑稽新聞・第33号「滑稽新聞様(三)」で、社会の実益と自己の存立を計るには、従来の新聞の真似事をしては到底ダメと説き、記事の主旨の貫き方と記者の心得をいくつか挙げています。
要約すると・・。
・手始めに身近な世俗的な話題から入ること。
・同一記事を反復すること。
・実効を奏するまで何度も書くこと。
・多数人と交際しないこと。
・招待に応じないこと。
・社会の多数人を害する奴を主として筆誅すること。
・法律の許す限りは極めて過激に書くこと。
・俗官が眼玉を丸くする位の記事を満載すること。

詐欺師や官吏の汚職を追及してきた宮武外骨だからこそ出た実践の言葉です。

下記は、宮武外骨が書いた記事をそのまま掲載しています。

滑稽新聞社様(三)    小野村夫(宮武外骨のペンネーム)

非常の熱心と非常の胆力で極めて過激に極めて痛快な記事を載せ、いわゆる日本一の新聞をこしらえて、社会の実益と自己の存立を計るには、従来の新聞の真似事をしては到底ダメである。都合の好い時ばかりの大言や、読者招きの看板のみでなく、実際、行往不断に
威武に屈せず、富貴に淫せず、ユスリもやらず、ハッタリもせず
の精神で、強がり者イジメ、詐欺屋征伐等、直言直筆をやって、記事の主旨を貫通せしめるようにせなければならぬ。
それには、大きな政治上の空論などを避けて、なるべく俗耳に入りやすい卑近な方向を手始めにして、同一記事を反復せねばならぬ。一度書いたことは二度と書かぬなどとは言わず、その実効を奏するまでは、何度でも繰り返すこと。

次に情実を避けねばならぬ。情実を避けようとするには多数人との交際をせぬこと。招待などには一切応ぜぬこと。いくら情実を避けようとしても交際して懇意になっている人のことは、イザという時、自分の思うままに直筆しがたいものである。

別して招待に応じて酒食を供せられたりしては猶更の事である。イヤイヤそのような事ではマダ勇気が足りない、真実、社会のためと思うならば、朋友であれ、知人であれ、饗応者であれ、遠慮はいらぬと言う人もある。なるほど、理屈はそれでよいが、やはり人情に反するから、なるべく始めより交際をせぬに限る。

次に社会の多数人を害する奴を主として筆誅せねばならぬ。一家の私事などや後家の醜聞とか、娘の淫乱とか、夫婦喧嘩するの借金山の如しのという事は、直接に社会の多数人を害するものでもないから、そんなことよりは、直接、間接に世間を害する新聞社の脅喝やハッタリ、詐欺広告屋の奸策、官吏議員の収賄などを手ヒドク攻撃せねばならぬ。

またその攻撃をするのには過激と痛酷が必要である。今日の社会は、腐敗の上に腐敗を重ね、堕落の下に堕落しているのであるから、普通平穏の忠告文メキたる事やアテコスリ位ではその記事の効能が現れない。面の皮の厚い奴が多いのであるから、法律の許す限りは極めて過激に、極めて痛酷にやらねばならぬ。

それでようやく凡そ明治20年頃のアテコスリ位の効能しかないのである。社会の現状が今日のようになっては、滑稽特有の風刺などは、ホンの娯楽的なものであって読者に興味を与えるに過ぎない。当人はフフンと言うくらいで省慮も改心もしない。

社会の制裁力が緩んでいるだけ記事の筆鋒は過激に痛酷にやらねば、とても実効を奏する事はできぬ。いつも俗官眼玉くする位の記事を満載せなければ、社会の実益と自社の存立を計る事ができぬ。迫害を受けて牢死するも、また一興であろうと。

◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという