宮武外骨「滑稽新聞」明治34年11月5日発行の第17号では記事3面を使い、「詐欺師野口茂平」の特集を組んでいる。野口茂平が偽薬を販売していることなどを、業界誌の情報や、独自のインタビューで徹底追及している。

宮武外骨の記事によると、

本誌前号の広告欄内において報道せしが如く彼の破廉恥なる立志堂野口茂平は本誌第15号中『明治発明家列伝』に掲げたる記事につき、我社に対して誹毀罪の告訴を提起せしにより我社は正当防衛と奸物退治の両手段として今回特に本欄を設けて連号続載することとせり

と特集の意図を紹介している。

「詐欺師 野口茂平」の記事では、第2号から第15号までの過去に掲載した野口茂平に関する記事を紹介。さらに「茂平が肺病必治薬と称して発売している肺労散なるものは、詐欺薬であること」が、売薬業者の機関誌によって指摘されているとした。

例えば、薬販売の業界誌「二十世紀医事」には、野口茂平が総ての医師を嘲り、種々の医薬を罵ることは、誠に悪むべき所業なり、と書かれていると指摘。また、全治者の礼状なるものを、野口茂平が親族の名前を使って偽造していたことを、関係資料を読み込み、明らかにしている。

野口茂平側は、薬種商の春元重助氏に対して300円(現在の価値では約120万円)の借財を返済していないという滑稽新聞の記事を「事実ではない」と主張している。これに対して、滑稽新聞は、ある信憑すべき筋より探聞して記述したものだ、と反論している。

「春元氏の証言」は、被害者当人の春元重助氏のインタビュー。当時の状況を聞こうと、滑稽新聞社の社員が春元氏宅を訪問して、野口茂平氏を批判する証言をそのまま掲載している。

三百円の借金に対し彼野口は返済期限が来ても返済せぬばかりか白々しくも金を借りた覚へが無いと申しまして却って私どもを相手取って私書私印偽造の訴えを法廷に持ち出しました、(中略)随分図太い奴です

最後の紙面では、「野口茂平」に関する読者の投書を掲載。「彼奴の驚き」では、同業者からの投稿を掲載している。

我々、薬業者の集会の席上で、度々、彼奴を面責したことがありましたが、いつも平素を構へて「へへへ」と冷笑するばかりで、その図太さには呆れてました。昨年夏頃の事と覚えます。大阪薬業雑誌はじめ東京の新聞雑誌までが彼奴を攻撃した記事を載せましたが、その頃あるユスリ新聞がヒドク彼奴の横着な事を書きたてた時にある人が彼奴に向かって「近頃だいぶヤラレますな」と冷やかしましたら、彼奴は「朝日新聞と毎日新聞が書きさえしなければ一向に平気でいます。他の新聞雑誌が何を言うても我輩の営業妨害にはなりません」と言ってましたが、今度、貴方の滑稽新聞を相手とって誹毀罪の告訴を起こしたのは、さすがの彼奴も滑稽新聞の記事にはおおきに驚いたに違いないが、これで滑稽新聞の勢力あることは証拠だてている、と昨今の我々同業者間の話柄になっています。何卒、ヒシヒシたたきつけてやっておくれやす

この投書に、滑稽新聞を読んで驚く野口茂平の絵入り記事を掲載している。

~「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載予定~

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという。

 時代風景の参照:「明治」ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB