滑稽新聞の明治35年4月5日の報道によると、偽薬を販売していた丹平商会を滑稽新聞社が告発していたが、その判決が出た。偽薬の毎月丸を販売していた丹平商会に対し、売薬規則に違反するとして、裁判所は罰金刑を科し、薬を没収した。

しかし、社会に大きな影響を与えた毎月丸事件の判決について、当時の新聞社はどこも報道しなかった。この事件を巡る新聞各社の状況を、滑稽新聞が「諸新聞の禁黙」と「本誌のお陰様」という見出しで記事にしている。

【諸新聞の禁黙】の記事を要約してみると、次のようになる。

毎月丸差押えの記事が、大阪朝日、大阪毎日新聞の前号で掲載された後、丹平商会が各地の新聞社へ百数十通の郵便葉書を出したり、大阪市内の各社へ赴き、毎月丸の記事を出さないよう依頼した。そのため、全国の新聞社は、丹平商会に有罪判決が出ても、どこも報道しなかった。広告依頼者が新聞社に対して、いかに勢力があるかわかるだろう。新聞各社は、このように腐敗して営利しか眼中にない。自社の愛読者を騙す詐欺広告を掲げても恥じない状況だから、どうしようもない。

【本誌のお陰様】という記事は次のように要約できる。

今までは、大手メディアばかりに広告を掲載していた丹平商会が、それより規模の小さい新聞社にも広告掲載を依頼した。これらの新聞社は、丹平商会と、高い代金で契約を結ぶことができた。そのひとつ、大阪新報の社員が、「普段、滑稽新聞から攻撃されて営業妨害ばかりだったが、今回は、滑稽新聞のお陰で、丹平商会と広告掲載の契約を結ぶことができた。このような利益を得ることができたのは滑稽新聞の賜物なり」と話した。

自社の利益如何で筆を左右していた、当時のメディアの腐敗ぶりが垣間見える。


◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという