調査報道の源流を探るシリーズです。明治のジャーナリスト宮武外骨が書いた滑稽新聞の記事をそのまま掲載しています。
滑稽新聞様(一) 小野村夫(宮武外骨のペンネーム)
最初、この滑稽新聞を発行しようとの計画があった時、予の所念はこうである。
幾多の雑誌が起こっては倒れ、起こっては倒れ、いわゆる三号雑誌とか三月新聞とかのことわざ通りになるものが多い。
その中に飛び出して、他の新聞雑誌に似たり寄ったりのものを発行したとて、とても成功することはできぬ。成功の見込みの立たないものならば、むしろ、断念したほうがよいのである。が、一つ成功せしめて見ようというには、何でも目先の変わった古今無類の筆鋒と前代未聞の精神とをもって、一種珍奇なものを発行せねばならぬ。そうすれば、ある部分の悪者には、非難や擯斥を受けるであろうけれども、眼識のある社会の多数人は、必ずそれを歓迎するに違いない。
然らば、その古今無類の前代未聞のものとはいかようなものかというに、在来の新聞雑誌記者は、筆に正義を唱えながら密かに悪事を働くばかりでなく、公然、舞文曲筆をやったり、或いは、詐欺広告を掲げて、自社の新聞愛読者を害するなど、その言行の不一致なること実に驚くべき有様である。
また、社会は日々日々堕落して、上下共に悪事の競争をするような現状で、書間強盗ともいうべき悪漢が、名誉職であるの、お役人様であるのと、天下の公道を横行していても、これを筆誅警醒すべき任務のある新聞記者は、些細な鼻薬をもらって筆を左右するなど、実に癪に障った次第であるから、これらを唯一の攻撃材料として、他に諸人の嗜好に投ずべき新案の記事を併載したならば、有益と興味のニ者を兼ね備えて、読者の愉快も推し測られる。何万という新聞雑誌のある中に、他社の新聞雑誌の悪事をぶったたく新聞雑誌を発行したものは一人もいない。なぜ、ないかというに、世間の
弱い者イジメ
をする新聞記者はたくさんあるが、正義のためにあくまでも戦うというほどの者は一人も出てこない。つまり、言論の機関を持っている新聞記者の悪事を摘発すれば、己が現に行いつつある悪事をすっぱぬかれる事を恐れるからである。それゆえ、出る者出る者みな洞穴の貉で、互いに罪悪を重ねつつあるのだ。
また、自社に収入あればとて、詐欺と知りつつ、社会の多数人を害する広告を掲げたり、賄賂を貪ったりする類が多い。これらに向かって大いに誅伐を加えたならば、社会の歓迎と本社の成功はいうまでもなく、第一、世助けになることは請合いである、との感念が起きた。
注釈
予・・・・・古くに日本で使われた一人称。余とも表記する。わたくし。われ。
三号雑誌・・創刊しても3号ほどで休・廃刊となるような、長続きしない雑誌。
古今無類・・昔から今まで並ぶものがない。
筆鋒・・・・文章の攻撃的な勢い。
舞文曲筆・・ 故意に言葉をもてあそび、事実を曲げて書くこと。
書間・・・・昼間。日中。
鼻薬・・・・ちょっとした賄賂(わいろ)。袖の下。
洞穴の貉・・悪事を働く仲間同士のこと。
明治35年7月1日発行・第31号
~「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載予定~
参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという。
↓時代風景の参照:「明治」ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB