宮武外骨シリーズのつづき。明治37年(1904年)2月15日発行の滑稽新聞・第66号で、水上警察署の署長、萩欽三の賄賂事件を前号で掲載し、発端となった読者からの告発投書を検事局へ提出し、調査を依頼した。その後、大阪地方裁判所の検事局から、滑稽新聞宛で召喚状が届いた。宮武外骨は、検事局へ出頭したときの検事正とのやりとりを、生き生きとした会話体で新聞に掲載している。
📰滑稽新聞に掲載していた記者と検事正のやりとりをそのまま、抜き出した。ここから、再現はじまり、はじまり。
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滑稽記者(宮武外骨)が、検事局に出頭したら、手塚検事正は、例の八方美人主義の態度を以て、温顔静かに語り出した。
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萩警視の収賄事件だがナー。あれは、当局において、いろいろ探してみたが、その事実は挙がらないヨ。捜査報告書によると、ナルホド、萩署長宅へ、航運会社の依頼だと言って、心斎橋通りの木下洋服店から50円(※現在価値で約50万円)ほどの品物を持って来たが、返したということになっている。その後、萩の自宅へ、同会社の者が、菓子折りの中へ、金の包み2つを入れて、1つは鎌田警部殿へとして、その裏面に「同警部殿のご住所を知らないから、貴殿より届けて下さい」と書いてあったが、これも同じく返したということになっている。
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へへー、わたくしは、当該記事の真偽は知らないように書いていますが、それは、今の司法警察部に不信任があって、刑法の官吏侮辱罪を構成されないための筆鋒で、実際は、それぞれの証人もあって、事実の的確なことを認めたから掲載したのですが。その賄賂の品を返したと言っているのは、一体、いつごろのことになっていますか?
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持ってきた日から3日後であるということだ。それは、最初の日、下女(※萩署長宅の女中)に持たせて、木下洋服店に返させにやったが、下女が道を間違えて、日本橋辺りをウロウロして、終に分からずに帰ったので、その翌々日、当人を呼び出して返したということになっている。
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それで、官吏収賄罪を構成しないのですか。しかし、「乞食3日すれば忘れられない」という諺もありますから、賄賂も即座に返したのなら、格別のこと。3日間留め置いては、収賄も一旦は成熟したものを認めてもよろしいように思われますが、貴官は、どのような処置をするつもりでしょうか?
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オーそのことは、誠に不都合であるから、本官においても、萩警視を当局に召喚して尋問したが、ヤハリ3日後に返したというから、「そんなに3日も留め置くから、世間の嫌疑を受けるのだ、官吏服務規則を心得ぬこともあるまい」と、おおきに叱っておいた。また、手続書も書かしている。
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そういうことなら、とても収賄罪は構成しないでしょうから、セメテ、免職にでもなさったら如何でございます。
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免職の申告は、本官の職権にない。ただ、裁判所構成法によって、「その地位に不相応な行状」として論告を与えるのみだ。しかし、本件の顛末は、知事に報告するから、譴責(けんせき)を加えるか、免職にするか、そこは知事の意見によって、内務大臣に何分の手続きに及ぶであろう。
このような始末で、水上警察署長・萩警視に対する本社(※滑稽新聞)の告発は、結局、不得要領にて終わった。我らは、繰り返し述べたいことが多いけど、今は、挙国一致官民共同すべき戦時(※日露戦争)に入ったので、このような国内の事件を追及して、打ち騒ぐ時期ではないと信じているので、本件は、これで、書き終えて、他日、外交平和克服の時に、さらに、挑戦することにしよう。警察官僚も、またこの主旨にて、誠心誠意、本務に従事すべきだろう。
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これまでの顛末はこちら。
↓①報道の発端
【明治の調査報道】賄賂署長の職権乱用を報道/宮武外骨「滑稽新聞」№53
↓②情報提供について
【明治の調査報道】滑稽新聞が歓迎する「投書」/官吏の収賄などの情報提供/宮武外骨「滑稽新聞」№54
↓③報道後の警察部の動き
【明治の調査報道】警察部からの「取消申込書」の顛末を掲載/宮武外骨「滑稽新聞」№55
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという。