明治29年2月20日付の滑稽新聞・第109号は、「明治の町内ネタ」を掲載した。当時、ペスト病を予防するため、市内家屋内の大消毒清潔法を施行し、役所から派遣された人夫が消毒にあたっていたが、乱暴者が多く、いくらかの金を渡さないと、壁や天井をめちゃくちゃにするなど、市民が迷惑したという。

そんな折、滑稽新聞社所在の町内にも、大阪市役所から注意書きが配布された。それによると、「市役所にて使用する消毒人夫には、十分取り締まりをしており、万事、不都合がないはずですが、多人数のことで、中には粗忽な者、不行届の者がいるかと心配している方もいるようですが、もし、これらの懸念のある方々は、町内または数戸申し合わせるか、或いは、各戸別々に手続きや人夫を雇われて、警察や市役所職員の指導によって、除鼠と大消毒清潔法をやってくださっても差支えありません」という内容だった。

この注意書きに、外骨は大阪市に対し「どこまでも市民を馬鹿にしているじゃないか」と憤慨している。
一部を抜粋すると…。
「いかに上下が盗人ばかりの大阪市役所とはいえ、その図太さは加減が知れない。これでは、市役所で雇う人夫は不都合な乱暴者であるから、自分で雇えば安心だぞと、言わぬばかりの口上である。市民が30万円(※当時の貨幣価値)の大金を負担して大消毒の施行をやるはずなのに、その金を市の官吏どもに着服された上、消毒施行は重ねて市民各々の自費でやらされるのである」

◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという