明治のジャーナリスト宮武外骨は、1903年(明治36年)2月20日付の「滑稽新聞」第43号で、大阪・四天王寺の大釣鐘(157.5tの巨大釣鐘)が、鋳造失敗で破壊されているという事実をスクープした。しかし、当時の大阪朝日新聞は、「鐘体は、一点の疵を見ず鋳造は成績十分なり」と、鋳造は成功したという内容の記事を掲げた。

宮武外骨は、大阪朝日新聞の「鋳造の成績、十分よし」という記事を抜粋し、「鋳造当初、『2週間の日数あれば釣鐘を土中より引き揚げることは容易である』と明言しておきながら、数十日経った今日まで、これを引き揚げる計画をせず、わざわざトンネルを穿って、余計の労力と費用をかけるような状態なのはどうしてなのか」と反論。寺側が公開しない理由や背景について「破壊物を引き揚げては、人気喪失となり、博覧会見物人を天王寺に引き入れることが難しくなるためだろう。この大失敗を隠蔽し、博覧会閉場後に引き揚げて、その際、初めて破壊に驚く偽装をしようとする欺瞞策だ」と述べている。

その後、「論より証拠、記事より実物」と、自ら現地調査を決行。地元警察官や商店主を取材し、そのやりとりを滑稽新聞に掲載した。

外骨の取材レポートをそのまま掲載する。

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