宮武外骨が発行した滑稽新聞・第107号の「昔ならば」の記事を読んで、ウオッチドッグ記者は、あまりにも面白かったので「ブファ」と吹き出した。宮武外骨(ペンネームは小野村夫)が書いたのは、「もし、今が明治ではなく江戸時代だったら、総理大臣の桂太郎や滑稽記者はどうなっていただろう」という観察記事。そこで一案。滑稽新聞「昔ならば」が江戸時代と対比しているのなら、ウオッチドッグは、「もし今が、明治だったら、連合会長やウオッチドッグ記者はどうなっていただろう」と対比してみた。

まずは、滑稽新聞の「昔ならば」をご覧あれ。

滑稽新聞編 昔ならば

明治今日の悪人共、幕府の頃であったならば、如何様な処分を受けるであろうかと「今ならば」の反対観察。

▲桂太郎
大臣の職にいて、ご法度の相場に手を出し、その上、暴虐無恥あらゆる罪悪を重ねた桂太郎のごとき奴は、普通の人民ならば磔刑ぐらいが至当であるが、かりそめにも国家の大臣であったからにて、御制規の通り「詰腹」というところであろう。その上「欠所」とて家財残らず官に没収、家族は追放されてその家断絶ということになるところであろう。しかるに、文明の恩沢で何等の咎めもなく、あまつさえ前官同様の待遇を受けるなどは実に有難い世の中だ。▲滑稽記者
素平民の分際を以て、勿体なくも時の総理大臣様たる桂伯爵閣下に対し奉って、常に「太郎、太郎」と呼び捨てにし、あまつさえ「さても稀代の曲者なるや」とか「土性骨の曲がった悪人バラ」とか、或いは「そのドテッ腹をえぐれ」とか「その生首をチョン斬れ」など、傍若無人の悪口を並べ立てたのは、前代未聞の不埒者なりとて、江戸町内引回しの上、浅草において獄門に行うというところが至当であろう。しかるに、文明の恩沢、何等の咎めを受けず、自ら癇癪明王と号して威張り散らしておれるのは、実に有難い世の中だ。

ウオッチドッグ編 昔ならば

平成今日の悪人共、明治の頃であったならば、いかような処分を受けるであろうかと滑稽新聞との対比観察。

▲連合会長
会長の職にいて、市の補助金交付に口を出し、その上、傍若無人あらゆる公金を喰いつくした連合会長の如き奴は、普通の市民ならば罰金ぐらいが妥当であるが、仮初めにも住民の代表を名乗ったからには、4年以下の重禁固というところであろう。その上解任にて、あらゆる役職を没収、会長職から追放されて、二度と連合会長になれぬところであろう。しかるに、甘い住民のお陰で、何らの追及もなく、あまつさえ、何十年間も市より高待遇をうけるなどは、実に有難い世の中だ。

▲ウオッチドッグ記者
一住民の分際を以て、もったいなくも時の住民代表たる連合会長様に対して、常に「爺ども」と呼び捨てにし、あまつさえ「さても稀代の温泉好き」とか、「人相の悪い悪人ヅラ」とか、「自腹で支払え」とか、「自治会報償金をちょん切れ」など、傍若無人の悪口を並べ立てたのは、前代未聞のクレーマーなりと、新聞紙条例違反の上、誹毀罪で記事の発行停止というところが妥当であろう。しかるに、言論自由の恩恵、何等の咎めも受けず、情報公開請求を続け、満足していられるのは、実に有難い世の中だ。