滑稽新聞が明治39年5月5日に、久々に四天王寺の大釣鐘の近況を「破鐘(われがね)」と題して報じた。「鋳造の成績至極良好なり」と大阪朝日新聞が「提灯持ち」「釣鐘持ち」として報じたが、今も据え置きのままであり、強情にも「割れてます」と白状しないと批判。近刊の大阪新報が、「釣れないものなら、打ち壊して地金の寄付者に謝すがよい」と批判していることを紹介している。

滑稽新聞が紹介した大阪新報の記事を抜粋する。

「鋳造から4年になるのにいまだに据えられたままなのは天王寺の釣鐘だ。係の者の話では、あの図体のでかい鐘を釣り上げる金物が、どうしても日本で出来ないから、急に外国に注文することになった。それやこれやで釣り上げるのが遅くなっているという説明だ。けれどもあれだけの鐘を拵えようとする者が、そんな考えが最初からなくてどうするのだ。馬鹿馬鹿しい。しかも、この前の博覧会にも、グッスラ儲け、今度の博覧会にも如才なく客を引いている。釣れるものなら早く釣るがよい。釣れないものなら、打ち壊して地金の寄付者に謝すがよい」。

◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという