ウオッチドッグは、明治時代のジャーナリスト、宮武外骨が発行していた滑稽新聞の報道を、2018年から現代の読者に紹介している。

昨今は、鹿児島県警の不祥事問題に注目が集まっている。明治時代にも、大阪の警察署長による賄賂事件が起きていた。明治37年(1904年)、滑稽新聞社に届いたある「投書」(情報提供)がきっかけで、主筆である宮武外骨と司法官吏(警察&検察)との闘いが始まった。

明治37年2月15日発行の第66号で、滑稽新聞社は、水上警察署・署長の賄賂事件をめぐり、捜査を依頼した検事正との取材やりとりをありのままに掲載し、報道した。

この賄賂事件の報道に対して、当時の大阪地方裁判所の検事局は、「オー其事は誠に不都合であるから…」「免職の申告は本官に無い…」という部分は事実無根なので、この全文を取り消しせよと「官吏侮辱罪」で滑稽新聞社を告訴した。

告訴された宮武外骨は、「官吏侮辱罪」という明治の悪法をどう思い、どう動いて報道したか。ウオッチドッグでは、今後も読者にもわかりやすく明治時代の報道を紹介していく。

↓明治の庶民が滑稽新聞社に投書した内容

明治37年1月25日付・滑稽新聞 第65号 /警察署長の賄賂

 大阪航運合資会社が、市内各河川より、尼ヶ崎までの間、貨客を運送することができる営業許可を水上署長(※萩金三)へ出願したが、この会社より1週間前に、森田という人物が既に同じものを出願していた。
 それなのに、大阪船運合資会社の社長は、前水上署の林刑事を仲介して、萩金三に数々の嘆願を行った後、代価50円(※現在価値で50万円)ほどのマントを贈り、娘婿にも同じ価格のものを贈った。
 12月下旬に、これらの品物を密かに贈り届けた結果、後に届け出を出していた大阪航運会社の勝利となり、盛んに船運業を営むことなった。このことを、最初に出願した森田の関係者で、元水上署で働いていた某警部に知り合いがいるものがこれを嗅ぎ付け、萩署長の自宅へ行き、問い詰めたところ、萩金三は大いに狼狽し、いったん使いの者を返させたが、元々、俗吏の奴根性で、双方ともうまく誤魔化して示談させた。万一承知しない時は、双方とも許可しないと脅しつけたら、今まで、散々、費用を使い、不許可となったらたまらんと両方とも示談の上、合併することになった。
 高野小市が職権濫用の悪警部なら、水上署長の萩金三は賄賂をとって職権を左右した悪警視だが、とても今の法律はコンナ奴を罰することができまい。

↓この投書を検事局へ情報提供し調査依頼をしたが…

           

宮武外骨が発行した明治の「滑稽新聞」とは…

1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという。 ~コトバンク「滑稽新聞」より~