宮武外骨の「滑稽新聞」は特に、詐欺師を徹底追及した。近代化の急激な波は、庶民らを騙し、悪銭を稼ぐ詐欺師を増長させた。そして、詐欺師を追及しなければならない大手新聞社は、詐欺師らからカネを受け取り、詐欺広告を平然と掲載していた。
外骨はこれに我慢できなかった。そこで、ある詐欺師を滑稽新聞の紙面で追及した。
一代で財を築き、大阪市会議員にもなった薬屋「立志堂」の主人、野口茂平。当時、死亡率が高かった肺結核に利く薬を発見したとして、大手新聞社で大々的な広告を出し、藁をもすがる患者や家族らに偽薬を販売した。今でこそ、偽薬だということがわかるが、当時は信じた庶民が大勢いたようだ。
ここから、市会議員でもあり、カネに糸目はつけない羽振りのいい業者、野口茂平と滑稽新聞の闘いが始まる。
最初の調査報道の火ぶたが切られた。
~「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載予定~
参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという。