宮武外骨「滑稽新聞」明治34年10月25日発行の第16号の一面で「詐欺師野口茂平は我社に対して誹毀罪の告訴を提起す」と、野口茂平の滑稽新聞社への告訴を取り上げている。

前号の明治34年10月10日に発行した「明治発明家列伝」という記事で、「大阪市会議員で薬屋の野口茂平が、肺病に効くと新聞広告で大々的に喧伝している『肺労散』は偽薬に違いない。野口茂平は、偽薬を発明した発明家だ」という内容の記事を掲載していた。この15号の発行からわずか10日の間に、野口茂平は、大阪区裁判所に滑稽新聞社を誹毀罪で訴えたことになる。

宮武外骨は、野口茂平からの告訴を受けて、第16号の記事で、こう書いている。(一部、読解不能な箇所は、現代語にあてはめている)

 予輩は、野口茂平が新聞紙の広告を害用し或は誇大なる自賛的印刷物を頒布し詐欺騙瞞の手段を逞ふして社会の大衆を欺罔するの不正不義を憎み、本誌第2号以来、度々彼を筆誅するに勉め、既に第9号6頁にも『新聞記者の天職とする所は社会を標準とするにありだ。滑稽記者は強盗又は殺傷等の個人に対する犯罪よりは、社会の多数人を害する野口茂平の如き広告詐欺師の連中を憎むべき罪人として筆誅するのだ』と掲げたりしが如く、予輩は、初めより野口茂平に対して恩怨を有する者にあらず。専ら社会の公益を主として悪を懲らし奸を誅し怪を除かんとする熱誠は、遂に跳梁跋扈を縦にする野口茂平の詐欺的行動を寛暇することを能わずして、その裡面の事情を紹介し、併せて茂平をして反省改悛の念あらしめん事を欲せり。
然るに鉄面皮なる彼は、本誌の記事に対し、懺悔を以てその罪悪の深き事を弁ぜざるのみならず、反って法律を盾として醜陋手段に出でんとするに至っては、抱腹絶倒沙汰の限りというべし。我社はここに正当防衛の手段として、次号以下に於て、茂平の性行閲歴と現在の情態を詳細に記載し、彼の老獪なる所以、奸悪なる所以、詐欺師たる所以を明白にし、茂平をして社会制裁の下に往生せしめすんば止まざるなり。我親愛なる読者諸君、乞う刮目して、如何に本誌が彼の真面目を紹介するかを待て。尚、詐欺師野口茂平に関する事実に関する投書を歓迎ぞ続々寄稿あれ。

宮武外骨は記事中で、野口茂平が社会の大衆を騙している詐欺を反省することなく、新聞記者の職分として筆誅した記事に告訴とは、抱腹絶倒の行動だと述べている。さらに、今後の紙面で、野口茂平の内幕を明らかにし、徹底抗戦することを宣言し、茂平に関する読者の投書を求めている。

注釈
誹毀罪:旧刑法上の罪名。現在の名誉棄損罪に相当する。
予輩:一人称の人代名詞。わたし。また、われわれ。
欺罔:だまして人を錯誤に陥れること、または人を欺く行為
恩怨:情けとうらみ。
跳梁跋扈:ほしいままに行動すること。悪人などがのさばり、はびこること。
裡面:世間に知られていない部分。内幕。
醜陋:みにくく卑しいこと。また、そのさま。
性行:人の性質とふだんのおこない。

~「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載予定~

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという。

 時代風景の参照:「明治」ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB