滑稽新聞は、明治34年9月10日発行の第13号から、「明治発明家列伝」というタイトルの連載を始める。

維新後、さまざまな文物が輸入して、物事も改良に改良を加え、進歩に進歩を重ねているにも関わらず、新発見というものは、未だない。そんな中、大発明をした人物たちがいる。その大発明者の苦心と成功をまだ知らぬ馬鹿者もいるが、時が移り、この大天才家の偉業が消えてしまえば、惜しむべきことであるから、ご親切なる滑稽記者は、新たな項を設けて、各々の伝記を書いて、現代と後世における大馬鹿者どもに示すという趣向だ。

滑稽新聞で取り上げた大発明家たちは、人々を騙して金儲けをしている詐欺師の名前ばかり。痛烈な皮肉が記事に込められている。そんな中、明治34年10月10日発行の第15号の「肺労散」を発明した野口茂平に関する記事が、新たな展開を巻き起こす。

ここ数年(明治34年頃)、新聞紙上で「肺病には西洋医者に妙薬なし」という広告を掲載し、肺病(肺結核)の薬「肺労散」を喧伝している人物がいる。大阪で東西洋第一というきらびやかな大きな店を構えた薬屋の主で、大阪市会議員の野口茂平。薬問屋から借りたカネを踏み倒したという過去もある人物だと掲載。

さらに、野口茂平の『肺病新論』という著作を基に、「昔からある漢方の牛黄を使っているというが、牛黄は高価で品物も少ない。牛黄に安価な品物を混ぜることを発明したに違いない。著作にある全快者の礼状は、デタラメだろう」と論じている。