明治37年1月25日付の滑稽新聞・第65号で、明治のジャーナリスト、宮武外骨は、大阪水上警察署の警視、萩金三署長の賄賂事件を記事で取り上げた。この報道が、その後、法定まで続く警察官僚らとの長い長いバトルの幕開けとなった。

当時の記事によると、滑稽新聞社に、「頓馬坊主」という匿名の投書があったという。

その少し前の63号から滑稽新聞は、法律を無視し、職権を濫用している高野小市という警部を「明治地獄帳」というコーナーで取り上げ、「高野小市に対して、地方裁判所検事局がまだ何の処分を加えていないので、解決を見るまでこのことを表記する」と書いた。

この地獄帳を見た読者の頓馬坊主が、「水上署長の萩金三もなかなかの悪い奴です」という萩金三の悪事に関する情報を、滑稽新聞社に送ってきたことから始まる。

投書は次のような内容だった。

 大阪航運合資会社が、市内各河川より、尼ヶ崎までの間、貨客を運送することができる営業許可を水上署長へ出願したが、この会社より1週間前に、森田という人物が既に同じものを出願していた。
 それなのに、大阪船運合資会社の社長は、前水上署の林刑事を仲介して、萩金三に数々の嘆願を行った後、代価50円(※現在価値で50万円)ほどのマントを贈り、娘婿にも同じ価格のものを贈った。
 12月下旬に、これらの品物を密かに贈り届けた結果、後に届け出を出していた大阪航運会社の勝利となり、盛んに船運業を営むことなった。このことを、最初に出願した森田の関係者で、元水上署で働いていた某警部に知り合いがいるものがこれを嗅ぎ付け、萩署長の自宅へ行き、問い詰めたところ、萩金三は大いに狼狽し、いったん使いの者を返させたが、元々、俗吏の奴根性で、双方ともうまく誤魔化して示談させた。万一承知しない時は、双方とも許可しないと脅しつけたら、今まで、散々、費用を使い、不許可となったらたまらんと両方とも示談の上、合併することになった。
 高野小市が職権濫用の悪警部なら、水上署長の萩金三は賄賂をとって職権を左右した悪警視だが、とても今の法律はコンナ奴を罰することができまい。

滑稽新聞社は、「事実無根ともいえないので、検事局にて捜査し、解決して下さい」と捜査依頼の書面をつけて、この投書を大阪検事局へ提出した。

滑稽新聞社は、検事局へ捜査依頼の書面を出した理由として、手塚検事正が常々、滑稽新聞社へ伝えていたという言葉を紹介している。

「大阪警察部内の悪事を摘発する時は、その発行前に、記事の内容を私に知らせてくれれば、直ぐに事実かどうかを捜査して、時機によっては、憲兵部に依頼し、罪跡を確かめる。そうすれば、紙上に掲載された事は、既に、当局でその証拠を押さえているので、記事は事実ということで社会に発表される。滑稽新聞の信用も大きくなるだろう。もし、そうでなくて、無断に、突然、掲載したならば、当局においてその曲事を知ることになり、犯罪者もその摘発を知ることになり、罪跡を隠滅する恐れがある」

外骨は、「検事正の真意を疑うものではないが、萩金三に関する一大事件も、本当に事実なら、滑稽新聞が発行された前後に、金三は拘禁の身となるはずだ。もし、事実無根なら、疑いを晴らす詳細な説明が当局よりあるだろう。読者は、じっくり楽しみに次号まで待て」と書いている。