ウオッチドッグでは、抱腹絶倒の筆致と表現力に脱帽しながら、明治のジャーナリスト、宮武外骨による滑稽新聞の報道を紹介している。
明治37年(1904年)1月25日に発行した第65号の滑稽新聞の紙上で、大阪府水口警察署の署長(当時)の収賄を報道をした。外骨独特の滑稽な筆致で書かれた問答記事に怒った大阪警察部(当時)と、大阪地方裁判所検事局(当時)は、外骨を官吏侮辱罪で同年2月16日に起訴した。
10日後の2月26日に始まった公判では、3人の弁護士(※滑稽新聞社の顧問弁護士)が登壇し弁論したが、3月2日に、1カ月半の禁錮刑と罰金刑が言い渡された。裁判長(当時)は堀栄一氏と田中準三氏、判事代理(当時)は山口貞昌氏、書記官(当時)は神代英太氏。
宮武外骨は、この判決を受けて不服控訴を申し立て、さらに、内務大臣、司法大臣、大阪控訴院検事長にも陳述書を提出した。第68号では「自分の身を拘留したなら、出獄の時に、生命のある限り書き続けるよ」と書いた。
さらに、「3日間の収賄論」と題して、検事局が事実としている賄賂品は3日後に返したとしている件について、鋭く追及している。2月26日の裁判の際に、弁護士の控え所にいたある弁護士の意見をそのまま掲載している。
「木下洋服店から船運会社の頼まれ物だと言って賄賂を持って来た日、萩欽三(※賄賂を受けたとする水口警察署の署長)は即座に持ち帰りを命じもせず、後で下女(※召使)に返させたが、下女が道を間違えてわからずに帰ったので、その翌々日に(※贈賄をした船運会社の)当人を呼び出して返したということは、常識のある者には真面目に聞けない話だ。自分が職務正しく事を執っているならば賄賂を持って来る人もなく、持ってきたとして、下女に返却させるなんて曖昧な行動があってよいのか。いやしくも警視じゃないか。いやしくも署長じゃないか。官吏服務規則を知らないわけないだろう。贈賄者に対して堂々と警察署に即刻出頭を命じて詰責の上にたたき返すべきだろう。またそのことをすぐに上官に報告すべきだ。それなのに、3日も留め置いて、内々に(※贈賄した)当人を呼び寄せて返したなんていうことは、後日の作り話である。またそれが事実だとしても、(※賄賂品を)3日間の留め置きは収賄罪として検挙すべき値打ちは十分にある。
いずれにしても、萩欽三は罪人である。このような罪人が他に向かって官吏侮辱の告発を起こすなどはあきれた話である。おい、宮武君、君はいつも暗黒世界だと言うが、滑稽新聞社ばかり光明があるのではない。我々(※弁護士たち)も当局の処置いかんによっては大きな連合攻撃をやるよ・・・」
某弁護士の発言として記事に掲載し、その後に会った別の弁護士にも同じようなことを言われたことを記事中で紹介した。最後に、これらの弁護士の名前を知りたければ、自分を呼び出すなり、拘留して聞けばよいだろう、その時に明々白々で答えると記事中で宣言している。
宮武外骨は官吏侮辱罪の判決に対して徹底抗戦をする意志を示した。
