メディア遊歩道の第2弾です。メディア遊歩道は、時事問題やメディアの問題などを、記者とデスクが散歩しながら、気楽に話し合うイメージのコーナーです。

第2回のテーマは、「市民の声を、なぜ、報じないのか?」です。

昨今、ボクシング協会や、体操協会などのスポーツ団体のパワハラ問題が話題になっていました。つい最近ということではなく、長年に渡って、一部の役員らが組織を私物化していることが問題視されていました。この長い年月、どうして明るみに出なかったのでしょう?

まず、日頃取材している記者が、どの程度知っていたのか、ですね。全く気がついていなかったのかも知れないですし、小耳に挟んだことがあるのか、それとも、かなりの部分知っていたのか。全く気がついていなかったとすれば、取材力がない証拠です。一方、かなりの部分知っていたとすれば、なぜさらに取材をしなかったのか、そしてなぜ「問題あり」と書かなかったのか。いずれにせよ、メディアの取材に問題があったことになります。

今まで、メディアに対して内部告発がなかったのでしょうか。疑問ですね。

 

真の「内部告発」であればですが、取材の現場では、「内部告発」まがいのガセネタもたくさん出回っています。取材力は内部告発があるか(あったか)ないか(なかった)とは、別次元の問題です。内部告発がないから、取材ができない、真相に迫れない、ということではありません。

告発者が出ても、権力側を擁護する「ポチ記者」が、逆に、組織の膿を出すのをつぶしているように感じますが。今回の体操協会でも然り。告発者をたたくような報道では、市民は怖くて声をあげられませんよ。

真の「内部告発者」は当然ながら、組織内でも、また社会においても、十分に保護されなければなりません。

内部告発は別にしても、40年以上、その組織を取材してきた報道機関の記者が、その実態に気づかなかったのでしょうか? 不思議です。

体操協会のケースですね。宮嶋さんの問題ですね。40年以上取材してきていても、もし取材力がなければ、実態に気がつかなかったこともあり得ると思います。取材といっても、<協会べったり>であれば、今なお、協会側の主張だけを真に受けているかもしれません。

大津市の自治会問題も、加藤英子さんが問題を提起した後、どこのメディアも改善されたのかどうか検証の報道をしていなかったのにはびっくりしました。行政側の主張を真に受けていたのでしょうか? なぜでしょう? 一部の記者が書いても、後任の記者が続かなければ、そこで追及は終わってしまいますよね。

大津市の問題、自治会の問題に限らず、取材・報道の継続性の問題は、あちこちで発生しています。取材も記事も途切れ途切れになる、というのは、全国紙の場合、記者が3−4年で異動するという事情が大きいと思います。組織が同じなんだから、本当は継続されるべきなのですが。

報道を受け取る側の市民は、途切れ途切れの報道で物事を判断しなければならなくなりますよね。継続した報道をしないメディアに問題があると思いますが。

厳しい言い方をすればそうなりますね。しかし、報道する側を擁護するわけではありませんが、ニュースの読者・視聴者にも問題があると言わざるを得ません。

というと?

 

読者・視聴者が全体として、しつこく追及する記事(ニュース)を必ずしも求めているわけではないからです。テレビ番組にしてみれば、いわゆる社会派(硬派)ドキュメンタリーは、視聴率が取れず、放送時間が深夜・早朝の時間帯に追いやられています。ドキュメンタリーの作り手が一生懸命、時間を掛けて、光がなかなか当たらない問題を取り上げても、視聴者の多くは見ようとしない。それではメディアの現場の記者(ディレクター)も育たないですよね。

なるほど。

 

森友・加計問題はどうでしょう? 「まだやっているのか?」「もういいんじゃないの?」と飽きられた面があったのではないでしょうか?

読者がしつこく追及する記事を求めていないわけではないと思います。ただ、報道機関の発信したものが、読者にわかりにくい面もあると思います。大津WEB新報の時も、そういうことを言われたこともあります。「わからない」と。

わかりにくい、難しい、堅苦しい、面白くない、という読者・視聴者の声には耳を傾けるべきですね。変わるべきところは変わらないと。

森友、加計問題の報道も、読者・視聴者がよくわからないから、「まだ、やっているの?」という雰囲気になるのかもしれませんね。本当にそれだけなのか、他のところではないのか、補助金とは何か、そうした視点で、全体構造を読者にわかりやすい形で伝える努力がどうだったのかというと報道機関の姿勢にも疑問があります。

国会での追及も同じことが言えると思います。もっとしつこくやらないから、読者・視聴者が簡単に離れてしまうという面があったかもしれませんしね。

わからないから面白くないとなってしまいます。紙面は、国の話題が中心。読者が知りたいのは、これからの自分の老後だったり、子どものことだったり身近な問題かもしれません。身近な問題を取り上げないから興味がわかない。今後、ウオッチドッグでも、身近な問題がどう国の問題とリンクしているのかがわかるように出す形が必要なのではないかと思っています。やり方は難しいですが。

補助金の問題にしても、税金の使い方がおかしいという程度ではなく、一人一人の市民がものすごく大きなものを失っている、本当はもっと豊かな生活ができるはずだということを、メディアが伝えなくては。

民間の小さな店は、日々、顧客に売れる商品を出すという努力をしていますが、報道機関や行政にそうした姿勢が希薄なのでは? だから、読者が何を求めているのかを知ろうという姿勢を見せてほしいですね。私もそういう気持ちを持って発信したいです。

その通りです。そういう意味でも、読者・視聴者(メディアの受け手)本位のニュース(記事)になっているのかを、十分検証し、変えていく必要がありそうです。