鹿児島県警によるニュースサイト「ハンター」の家宅捜索の報道をめぐり、南日本新聞が言論機関としての役割や責任を放棄した実態が、8月1日付の同紙の報道で浮き彫りになった。ウオッチドッグでは、県警が4月8日、ニュースサイト「ハンター」の代表宅へ家宅捜索に入り、取材源の情報が入ったパソコンのデータを押収したことに対して、憲法21条で保障している「言論の自由」を脅かす報道弾圧であると批判してきた。
一方、鹿児島県を拠点とする地方紙、南日本新聞の不可解な報道姿勢についても検証し、これまで3本の記事を「地方紙と地元組織の慣れあい」と題するシリーズで報道してきた。
ウオッチドッグ記者は、鹿児島県警、県医師会、南日本新聞という3者の慣れあいの構造を記事で指摘し、一定の区切りをつけて、ウオッチドッグの地元である、滋賀県と大津市に関する調査報道に戻るつもりでした。ところが、ウオッチドッグのデスクから「これはひどい。メディア遊歩道で解説しましょう」と提案がありました。問題だと思う、8月1日付の南日本新聞の報道は、これですね。
↓2024年8月1日付・南日本新聞の報道より。https://373news.com/_news/storyid/198942/
デスクが呆れただけのことはありますね。まず、ウオッチドッグ記者は見出しに注目。「識者はどうみる」の見出し。「あなたたち記者はどうみるのですか」とツッコミを入れたいです。
専門的な込み入った話題なら、確かに有識者の解説が必要です。しかし、今回の鹿児島県警から家宅捜索を受けた「ハンター」は、ニュースを扱うウェブメディアです。南日本新聞も同じようにニュースを扱うメディアです。第3者に意見を求める前に、自らの考えを明らかにすべきです。なんたって、佐潟隆一社長自ら「ジャーナリスト集団」を標榜する、立派な言論機関の1つです。
「識者はどうみる」と書いていましたが、肝心の識者はこんなコメント。
「現段階では情報が不足しており」と言うのは、どのような点なんでしょうか。少なくとも「ハンター」側は、当日何が起こったか、詳細に報じています。この場合は、南日本新聞の取材に対して、コメントを出すのを辞退してもよかったのではないでしょうか。南日本新聞は、「是非を判断できない」という識者コメントを掲載して、お茶を濁そうとしているのでしょうか。意味がわかりません。是非を判断できる識者を探してきたらいいのに、と言いたいです。
「是非を判断できない」という識者のコメントを報道すること自体、よくわかりませんね。それであれば、「是」と「非」の双方の意見を併記したほうが、読者が「判断」しやすいですけど。もう1人の識者はこんなコメント。
「県警が家宅捜索に踏み切った経緯と理由を具体的に説明する必要がある」と、刑事訴訟法の専門家がコメントしていますが、地元紙の南日本新聞は、県警が家宅捜索に踏み切った経緯を取材し、報道しなかったのですか? もし、取材した内容を報道した紙面を、これらの専門家に読んでもらうことができれば、経緯と理由を知ることができたでしょうに。憲法21条の「国民の知る権利」のために、ジャーナリストとしての任務を全うしてくださいよ。
言論機関に対する家宅捜索なのですから、この問題については、報道機関である南日本新聞が専門のはずでしょう。社説や記者の解説記事で自らの見解を述べるべきです。もはやメディアとしての責任を放棄しています。
もし、南日本新聞が「ハンター」について、言論機関ではないと位置づけているのであれば、そのような見解を明らかにすべきです。
ちなみに、ウオッチドッグでは、6月から、過去の「ハンター」による報道や、他社の報道を読んで、ほぼこれまでの経緯と背景を知ることができましたけど。そして、「ハンター」と同じ調査報道のサイトとして、その経緯を独自にまとめて報道しました。
今回の南日本新聞の記事で、一歩進んだのは、ようやく「ハンター」の名前を記事で出したことだけでしょうか。
そうですか? 私は全く評価しませんよ。なぜなら、説明がないからです。これまで、南日本新聞は、記事の中で「ハンター」という固有名詞を使っていませんでした。県警内部から内部告発が「ハンター」にもたらされた際も、「ハンター」の名称を記事に書くことを、頑なに避け続けてきました。他のメディアはとっくの昔に、「ハンター」という名称を明らかにして報じていました。南日本新聞はなぜ今ごろになって突然、方針転換したのか。読者は初めて「ハンター」の存在を知り、戸惑うのではないでしょうか。読者に対しては不親切極まりないです。
いつも冷静なウオッチドッグデスクが怒りで熱くなるほど、不甲斐ない内容でした。