市長の裁量権で何でもできる!?

大津市は補助金の支出について、自ら定めたいろいろな「基準」を設けている。今回の裁判で、越直美市長は、「(迷惑料)補助金支出に市自ら定めた基準は関係ない。市長の裁量権は広範囲だ」と反論している。つまり、市長の裁量権を持ち出せば、何でもできるということだ。それでは、なぜ「基準」を設けたのだろうか。

過去の度重なる不祥事を追及される度に、大津市は「公平性、透明化を図り、適切に執行する」、「説明責任を果たしたい」と、迷惑料支出に「基準」を設けることを市民と約束した。2003年に定めた「地区環境整備事業の選定基準」、2012年に定めた「補助制度適正化基本方針」や「自治振興対策事業補助金交付基準」など、いくつもの「方針」やら「基準」やらを設けてきた。

例えば、2003年5月に大津市は、こういう文書を残している。

「地区環境整備事業の実施に際しては昨今の厳しい財政事情、そして適正執行を求める情報公開請求や住民訴訟が提起されたこと等に鑑み、別に定める選定基準、補助金交付手続等により、公平性と透明性を確保し適切に執行するとともに、市民に対する説明責任を果たさなければならない。」

市民に対する大津市長の背信行為

しかし、最初の「基準」から現在まで、これらが守られた試しはなかった。大津市長は、守られていなかったことを反省することなく、過去の経緯や行政改革の過程で策定した諸々の基準に、今回の支出が違反していようが、公益性はあると強弁した。市民に対する背信行為に等しい。

「公平性、透明化を図り、適切に執行する」、「説明責任を果たしたい」といった、市民に対する説明や反省は“空念仏”だったわけである。さながら、各種の「基準」は、“空基準”である。

大津地裁は、大津市自ら定めた基準は、大津市長の裁量権を適切に行使するもので、限界を決めるものではないと判断している。基準に違反したからといって、逸脱・濫用があるとは言えないとしている。これはいったい、どういう解釈なのか。違反したら、濫用だろう。

今までさんざん、いい加減な補助金の使い方をしてきた反省から、自ら「基準」を設けるに至ったのである。市民に対しては、これからは「基準」通りに、適正に支出しますと誓ったはずだった。それは市長の裁量権の一種の歯止めでもあった。そうでもしなければ、市長の裁量権が際限なく広がるからである。

ところが、大津地裁は今回の判決で、大津市が過去の経緯を反省し、多くの人たちが携わって策定した「基準」よりも、その時の市長の裁量権が幅を利かせてよいという判断をした。ということは、「市長の裁量権」を乱発すれば、市民の税金が歯止めなく、使いたい放題で使えるような仕組みを、大津地裁は容認したとも言える。

大津市長の背信行為を、大津WEB新報の記事で振り返る。

地区環境整備事業の基準について/大津WEB新報が報道

「地区環境整備事業に関する基本的な考え方」/市民に対する説明責任を果たさなければならない

 

地区環境整備事業補助金の交付基準/生活環境に資する事業に交付

大津市監査委員でさえ/「市民に説明がつく妥当な線で抑えるべき」と発言

越市長の過去回答/「平成24年度に補助制度適正化基本方針を策定しました。今後もさらに補助金の適正性の確保に努めます」

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