明治の滑稽新聞
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滑稽新聞が明治39年5月5日に、久々に四天王寺の大釣鐘の近況を「破鐘(われがね)」と題して報じた。「鋳造の成績至極良好なり」と大阪朝日新聞が「提灯持...
日露戦争後の緊急勅令で、滑稽新聞の号外が明治38年9月13日、発行停止と発売禁止になった。約2ヶ月後の11月30日に勅令は廃止となり、宮武外骨は12...
ウオッチキャットは尻尾をふりふりしながら、ウオッチドッグの連載「市民の声シリーズ」を読んだ。市民センター統廃合問題の意見交換会で、参加者の声を集めた...
ウオッチドッグは10月27日、「情報公開条例が閲覧不能」と報道したが、その4日後に、大津市の市政情報課が、ホームページの「情報公開制度」のトップ画面...
琵琶湖市民清掃の随意契約金が違法な支出にあたるとして、加藤英子さんら市民が大津市に返還を求めた第8回の口頭弁論が11月1日、大津地裁で開かれた。 原...
大津市情報公開条例で検索すると「エラー表示」となり、条例が画面に出てこない問題で、例規を所管する大津市の総務課は、「去年、例規のシステムが変わったた...
明治のジャーナリスト宮武外骨が明治38年(1905年)11月、滑稽新聞・第104号で、滑稽新聞の発行停止と発売禁止の批判記事を書いたが、その第104...
大津市が4年前から水面下で進めていた市民センター統廃合計画で、何を隠したかったのか。ウオッチドッグは、行政にとって「不都合な真実」を検証する。シリー...
大津市は、4年前から水面下で進めていた市民センター統廃合計画で、越直美市長と市幹部らの計画当初の協議録を情報公開請求した林まり市議(共産党)に対して...
大津市がどの部分を黒塗りにしたのか。そこに注目すると、大津市が市民に何を知らせたくなかったのか、行政にとって「不都合な真実」が浮かび上がってくる。 ...