宮武外骨の取材レポート

記者はわざわざ実地調査として出張した際、途中、試みに、天王寺警察署に立ち寄り、署員某氏に「大釣り鐘の破壊の噂があるが、その真相はどうなんだ?」と質問した。

同署の某氏曰く、
「左様さ、割れているというのではありません。つまり、隙間があるというほうが妥当でしょう。私は、鋳造式の時にも臨場していました。その時、溶解の地金が不足で、にわかに騒ぎまくって鋳足しをしたのですが、その鋳足しの分と最初の分との間に隙間があるので、今、引き揚げようとすれば、ちょうど、鉄瓶の蓋を取るように、上部だけポコンと離れるに違いないです。然しながら、今、このことを発表しては、大いに不利益であるというので、博覧会会期中は、あのまま据え置いて、閉場後に引き揚げて『ヤー割れた』と言うつもりなのです。その隙間のあるところは、鋳造場の東北方面上部45尺の間です。そこへは、うまく泥土や金屑などを練りこんでありますが、良く見ればわかりますから、東北方面は見させないように、レンガや鋳型を積み重ねておいて、戸板などで囲い、寄り付かないようにしてあります。・・・しかし、こんなことを私が喋ったなどとかお書きになられては、少々困る事情はありますから、私の名前は云々」

また、かねて面識のある天王寺西門前の某店の主人に会い、
記者「オイ、大釣り鐘は割れているそうじゃな」

主人「イヤ、そんなことありません」

記者「隠すな。知っているョ」

主人「では申しますが、先月、鋳た時、地金が足らないので、鋳足しをすると、冷えかかったところへ、熱いのがいったので、地の中でドドンというような大きな音がしました。まるで、地震地鳴りのようでありました。それで、皆々心配・・・ハハア・・・全て『ナイショ、ナイショ』ということになっているのです。あんなに人夫を入れて騒いでいるなどは、金儲けのためとは申せ、空々しいものです。云々」

さて、大釣鐘拝観料3銭を払って入場したが、以前、社員より聞いたこと、前記の某二氏の語ることに違いはなかった。東北の側面には、「これより内に入るべからず」の立て札もあった

朝日新聞の記事、滑稽新聞の記事、どちらが事実なのかは論より証拠。事務所の特別許可をもらって実物を点検するか、或いは、彼らがいうような、博覧会閉会後の引き揚げを待ったら、はっきりするだろう。

◆「滑稽新聞」は、毎週水曜日に掲載◆

 参照:滑稽新聞とは/コトバンクより
1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという

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