使われなくなった1,000本を超える旧湖南有線放送の電柱が、16年以上も管理されず、大津市内に取り残されている問題で、当時の代表理事、田中亥一氏(2010年1月死亡)が大津市議(自民党)と、滋賀県の職員を務めていたことがわかった。さらに、大津市が、解散手続きを進めようとする滋賀県へ保留を要請していたことが県の公文書で明らかになった。県と市が、田中氏に配慮し、この団体への責任追及の手を緩めた可能性がある。一方、市は問題が継続しているのに、県との間で交わした文書や経緯についての文書をほとんど保存しておらず、責任を逃れるために意図的に大量破棄したとみられる。
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①大津市が滋賀県へ組合解散「保留」を要請
② 市が事務所用地を無償提供/年500万円補助
③市長が知事へ要望書を提出/代表理事没1年後
④「唐突」「非常に不自然」/市の出方に戸惑う県側
⑤住民は電柱撤去費用を請求できず/市は議員には反応
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①市は放置電柱の危険性を認識
②「電線柱の処理に責任ない」と市
③【解説】市は組合を優遇/運営実態を知る立場
④湖南有線放送の歩みと滋賀県と大津市の対応(時系列)
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① 有線放送電話のための専門農協
②ずさんな運営実態を放置
③市は北部で有線放送を直営
④組合の財務状況は不明
⑤ ずさんな運営実態を放置
⑥代表理事の田中氏は行政書士/登記不備で清算できず?
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① 同会派に佐野元県議や金井元市議 /田中氏の市議時代 、②編集後記、③追記
大津市が滋賀県へ組合解散「保留」を要請
滋賀県が保存していた関係文書によると、湖南有線放送農業協同組合(当時)は、瀬田、田上地域一帯で、有線放送事業を行うため、1972年に設立された。その後、電話回線の普及と共に、利用者が減り続け、2001年に業務を停止し、2003年に解散臨時総会を開催した。しかし、代表理事変更の登記手続きの不備や総会の議事録の不備、新旧役員らの内紛などにより、解散登記が出来ず、結果として「自主解散」が頓挫した。2004年に、「当面、解散させずに組合による電柱撤去の実績づくりを続けたい」とする大津市の要請で、県は解散の指導を保留とした。その後、2011年6月に突如、市が県へ調査報告書と要望書を提出した。報告書によると、取り残された電柱は、計1,164本で、公有地(487本)と民有地(677本)にあり、電柱につながれた電線は単線を中心に、全長97.4キロに及ぶという。市から報告書と要望書が届いたことで、県は解散の指導保留を解除し、2011年10月に、運営実態がなく幽霊団体となっている組合に対して、解散命令を出した。
↓滋賀県が保存していた「解散命令」に至る概要の公文書
市が事務所用地を無償提供/年500万円補助
大津市は組合へ、1972年の設立から毎年、500万円の補助金を支出していた。加入者が350戸しかいなかった2000年でも、180万円の補助金を、農業振興費として支出している。かつて、ピーク時は約2,500戸が加入しており、市補助金と利用料を合わせると、かなりの金額が、組合の収入として入っていた。さらに、市は市有地(当時:三大寺1番2号)を組合の事務所のために無償提供し、事務運営に関わるなど、密な関係を維持していた。
市長が知事へ要望書を提出/代表理事没1年後
2004年以降、市は県へ解散の指導を保留するよう懇願し続けていた。しかし、田中理事長が死亡した1年半後の2011年6月17日に、突如、目片信市長(当時)が、嘉田由紀子知事(当時)へ、電柱占有地の調査報告書と、安全確保及び撤去などを県が行うよう求めた「要望書」を提出した。市の突然の方針転換に対し、県担当者が戸惑っている様子も協議録に残されている。
「唐突」「非常に不自然」/市の出方に戸惑う県側
2011年7月6日に県と市が協議した記録を、県は保存していた。市から県へ要望書が6月17日付で出されたのを受け、県が県庁本館に市職員を呼んだとみられる。市からは農林水産課の職員3人が訪問しているが、市側はこうした記録を残していない。
2004年以降、市側の要請を受けて解散指導を保留にしてきた県は、2011年6月に市が突然、要望書を県へ提出したことに、「唐突に、電柱について問い合わせ、安全確保、撤去全てを県で対応せよという市長名の要望書をいただき困惑している。これまでの市農林水産課と当検査室の関係からすると、非常に不自然な印象を受けるが、どのような経過があるのか」と市を問い詰めている。
協議の中で、県側は過去の経緯を明らかにしている。2004年に市側は「市が議事録の作成など積極的に動いて解散させることは避けたい」「組合としてできるだけ努力した実績を残さなければ、市民の理解は得にくく、財政サイドも納得しないと考えており、当面、解散させずに、組合による電柱撤去の実績づくりをしたい」と、解散の指導を保留するよう県へ要請していた。また、2009年にも市側は「(組合の)理事への接触は待ってほしい」と、県が理事へ接触することに待ったをかけていた。
気になった箇所を赤枠で囲んだ
住民は電柱撤去費用を請求できず/市は議員には反応
組合が業務を停止した10年後の2011年に、大津市が“唐突”に動き出した。登記されている代表理事が死亡し、裁判所においても清算手続きができなくなった。不利益を被ったのは住民だ。民有地に電柱が建っている住民らは、行政の対応が遅いため、電柱の所有者である組合に対し、もはや撤去費用を請求できなくなってしまった。
2011年度に住民が市や県に、放置電柱について問い合わせをしている記録や、市と県のやりとりが、県の文書に残されている。例えば、2011年には、大津警察署から「トラックが湖南有線の電柱にひっかかり、支柱を倒しかけている」という通報があった。住民からは「自宅を改築する予定だが、建設予定地の近くに、旧農協の電柱があり邪魔なので撤去してほしい」、「敷地内にある電柱が道路に倒れかかっているので何とかしてほしい」、「自宅に電線が垂れてきている」などの声が次々と上がっている。こうした問い合わせの声は、県の文書に残されている。しかし、市は、市民から寄せられた危険電柱に関する問い合わせ記録を全く残していない。
県に残されている2011年7月1日の協議録の中で、市職員が「最悪、死亡事故などがあればどうするのか。責任所在や解決方法を考えていかければならない」と責任問題を懸念している発言もあった。さらに「議員からの問い合わせもあり、市議会や県議会でも取り上げられそうだ」と発言している。市民からの問い合わせでなく、議員からの問い合わせで初めて動くという体質も露わにしている。
次ページでは、大津市が、残存電柱をどう認識し、動いたのかを紹介する。