有線放送電話のための専門農協

滋賀県史「通信」によると、「有線放送電話は、公共的な共同の目的をもった団体が施設者になってその業務を行うことになっている。このため滋賀県では、市町村などの地方自治体、あるいは貯金共済などを行う総合農協が施設団体となったほか、有線放送電話のための専門農協を組織して行われた」とある。湖南有線放送農業協同組合は、「有線放送電話のための専門農協」として組織された。つまり、有線放送を運営する団体は、公共的な目的をもった団体に限られていた。

市は北部で有線放送を直営

大津市はというと、直営で、1957年から堅田地区を中心とした北部地域の有線放送事業を営んでいた。北部地域の通信手段を、市が特別会計で計上し、有線放送事業を直営していたことになる。市の主要な施策の成果説明書(1972年度)によると、「有線放送電話事業は、放送と通信の両機能を一体としてもつ設備を活用することにより、行政の浸透および各種災害時の通報、非常事故時の急報連絡等において、大いにその効果を発揮しており、農産漁村地区住民にとって欠くことのできない通信機関となっている」と説明している。つまり、当時の有線放送は、住民の災害時の通報など、通信手段として必要不可欠な役割を担っていたことから、地方自治体の責務として、市直営で運営していたといえる。1972年当時の直営有線放送の北部地域の加入者数は、3,042戸だった。加入者からの使用料収入は、当時で破格の合計1,200万円もあった。

組合の財務状況は不明

ちょうど同じ年の1972年に、瀬田町有線放送と田上有線放送が吸収合併して湖南有線放送農業協同組合が発足した。大津市は、堅田や伊香立などの北部方面については、直営で運営し、瀬田や田上などは、組合に運営を任せたといえる。当時、市は自治体としてやるべき「通信事業」という役割を組合に担わせていたため、市有地を組合の事務所用地として無償提供した。民地に建てられた電柱も、市と組合が一体となって進めている公的な放送事業の推進のため、該当地の住民が「否」とは言えない状況だったと推測される。

こうして、一時は利用者の増加で潤っていった有線放送も、昭和40年代から急速に普及し始めた電話の台頭により、利用者が減っていった。大津市直営の北部地域の有線放送も、1982年(昭和58年)に役割を終えた。活動停止をした市直営の「有線放送」特別会計によると、一般会計の繰り入れ金を含め、収入は1,800万円だった。こうした財務の記録は、市直営のため記録に残され、何年経っても確認することができる。

一方、南部方面に広がった湖南有線放送農業協同組合の財務状況は、全くわからない。判明しているのは、毎年、交付された補助金額だが、これが何に使われたのか不明のままである。そして、民間の組合が公道や民地に建てた電柱だけが、組合が活動を停止した後もそのまま取り残された。

組合に対して市は、設立当初から500万円の補助金を毎年、支出。大津市直営の有線放送事業が利用者激減で活動を止めた1982年の翌年も、組合に200万円を支出している。

↓1976年に、市から湖南有線放送農業協同組合へ支出していた補助金500万円/「大津市主要な施作の成果説明書」より

↓1982年市から湖南有線放送農業協同組合へ支出していた補助金200万円/「大津市主要な施策の成果説明書」より。

ずさんな運営実態を放置

大津市直営の有線放送が利用者激減で業務停止したということは、南部地域の組合も、同時期に利用者が激減していたと推測される。当初の500万円から、200万円、そして180万円と市補助金の減額推移で読み取れる。それなのに、なぜ組合は、2001年(平成13年)まで続いていたのだろうか。湖南有線放送が業務停止をしたのは、市直営の有線放送(北部方面)が業務停止してから19年後となる。ピーク時に集まった莫大な利用料は、何に使われたのか。県の記録に、「組合に(総会)議事録作成の能力がなかった」と書いている通り、極めてずさんな運営実態だったことが伺える。なぜ県はもっと早い時期に、組合を指導しなかったのか? 業務停止するかなり昔から、活動をしていなかったのではないか?

代表理事の田中氏は行政書士/登記不備で清算できず?

組合には、議事録作成の能力がなかったとか、登記不備のため手続きが怠り、清算人による清算ができなかったというのが、市や県の説明だった。しかし、ウオッチドッグが調査を進めると、ある事実を突き止めた。登記されている代表理事の田中亥一氏は(2010年1月死亡)は、元市議でもあり、元県職員でもあり、行政書士でもあった。つまり、文書の仕組みを誰よりも理解し、文書作成のエキスパートだった。ということは、議事録も作成でき、登記手続きも極めて容易だったはずだ。市や県はいくらでも、組合の問題を追及できたと考えられる。

次ページでは、代表理事の田中亥一氏の経歴と、市議会、県議会の動きについて解説する。

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