同会派に佐野元県議や金井元市議 /田中氏の市議時代

湖南有線放送農業協同組合の代表理事、田中亥一氏は、1975年(昭和50年)から1976年(昭和51年)まで、滋賀県議会事務局の次長で、1977年(昭和52年)から1978年(昭和53年)まで、滋賀県監査委員会事務局の局長を務めた。いわゆる、滋賀県幹部の「お偉いさん」という経歴の持ち主だった。情報公開請求で入手した当時の県職員名簿に、田中氏と同じ監査委員事務局に、2018年度の大津市自治連合会の会計で、滋賀学区自治連合会長の名前もあった。当時、田中氏と一緒の職場で、面識があったということだろうか。

↓参照記事:大津市自治連はこんな面々/15人の役員名簿を掲載/ウオッチ大津№46
https://watchdog-journalism.com/otsu46

その後、田中氏は、市議会選挙に出馬し、1983年(昭和58年)から1990年(平成2年)まで市議を務めている。会派は、緑風会(自民党)だった。市議会名簿には、「行政書士」という職業も記されている。田中氏の同時期の仲間(会派)として、佐野高典氏(元滋賀県議、自民党、「琵琶湖を美しくする運動実践本部」副会長)や、金井長純氏(元市議会OB会代表で、山田豊三郎元市長の銅像建立の発起人、元長等学区自治連合会長)、南部政一氏(元上田上学区自治連合会長)の名前もあった。湖誠会の幹事長、竹内照夫氏も、1991年(平成3年)の初当選から数年間、緑風会に所属していた。

元県議で自民党、佐野高典氏の名前は、琵琶湖市民清掃の取材で、何度もウオッチドッグが取り上げたことがある。お馴染みの名前である。

https://watchdog-journalism.com/biwalake14

佐野元県議は、湖南有線放送農業協同組合の代表理事、田中氏のことを、同じ時期に同じ会派の市議だった経緯から、面識があったといえる。過去、民地に電柱のある住民らが、市や県へ何度も「撤去」について問い合わせしていた。組合の登記手続き不備のため、清算手続きが出来ないという状態のため、市や県の担当者が、四苦八苦もしていた。その間、佐野元県議は、代表理事と面識があったにも関わらず、大津市議、滋賀県議という経歴の中で、何も動いていなかったことになる。

もうひとり、田中氏と同時期、同じ会派だった金井元市議は、電柱占有地調査を始めた2009年に、市議会OB会の会長として、故山田豊三郎元市長の銅像建立を企画している。4人の発起人メンバーのひとりは、ウオッチドッグの報道でお馴染みの大津市自治連合会長の谷正男氏だった。金井元市議は、山田元市長の数々の功績を称え、後世に残すために立派な銅像を建てたいという思いから、関係団体や個人から約1200万円の寄付を集めたという。市民有志が言い出すならまだしも、市政を監視する市議会議員だった人物が、市長の銅像建立を言い出している。「私たちはお仲間でした」と公言しているようなものだろう。それも、建立場所は、将来の道路予定地だった。今後、道路を建設することになったら、移転しなければならない。

↓故山田豊三郎市長の顕著事業について/秘書課保有の公文書

金井元市議らは、銅像の序幕式についての打ち合わせを、2011年6月17日に大津市役所の会議室で行っている。6月17日といえば、2004年以降、県へ「組合」の解散指導の保留を懇願していた市が、突如、方針転換し、目片市長(当時)が、嘉田知事(当時)へ、電柱の撤去を県が行うよう求めた「要望書」が提出されたときと同じ日。田中氏が死亡してから、1年半後のことだった。市は、要望書を提出し、県へ責任転嫁を図った。倒壊の恐れもある電柱をそのままにした組合の代表理事、田中氏をよく知る金井元市議が、県へ要望書を提出したまさに同じ日、銅像建立の打ち合わせのため、大津市役所内にいたということになる。不思議な偶然が重なるものだ。

編集後記

ウオッチドッグ記者は、久しぶりに山田豊三郎元市長の銅像関係の資料を見て、この数年の間に、取材で目にした名前がずらりと「山田豊三郎元市長の銅像建立、懇親会名簿」に連なっているのを見て思わず笑ってしまった。気になる名前を赤線で印をつけた。市民の血税を好き勝手に使い、市民の安全に関わる危険電柱を放置し、運営団体の責任者を追及せず、組合財産の行方をうやむやにし、隠蔽と公金飲食を繰り返した元市長の銅像建立の懇親会に勢ぞろいする。名誉市民の称号をつけ「ありがたや、豊様」と拝み倒す。これが、延々と続く大津市政の実態だ。

↓2011年11月22日の山田元市長の銅像懇親会(式次第と名簿)

そして、この懇親会と同じ日に、県は、「湖南有線放送農業協同組合の解散について」という文書を起案している。10月24日に、湖南有線放送農業協同組合への解散命令の県公告が出ていた。代表理事が死亡したため、裁判所に「清算」に関する所管が移っても、組合が保有していた財産を追うことも、財産を処分することも、困難となった。

組合解散の県公告が出た約1か月後に行われた山田元市長の銅像建立の懇親会に集まった面々の中には、さぞかし美味しい酒を堪能した人物がいたのではないだろうか。

♦追記/デタラメリンクに気づく

今回、発見したが、山田豊三郎元市長を紹介したウィキペディア「山田豊三郎」で、元大津市自治連合会長の山本俊一氏について言及した部分があるが、全く別人の東京大学医学部教授だった医師の山本俊一氏(福井県出身)という人物がリンクされていた。全くのデタラメ。どこの誰がこんなことをしたのか知らないが修正できる人は「リンク解除」をしてほしい。大津市自治連合会長だった山本俊一氏は、教授でも、医者でもない。

1 2 3 4