2021年9月1日にデジタル庁が発足した。発足式で菅義偉首相が「行政サービスや民間におけるデジタル化の遅れが浮き彫りになりました。思い切ってデジタル化を進めなければ、日本を変えることはできない」と述べたことに、「ちょっと待て、待て」と疑問を持ちました。

国会議員らの数々の優遇手当は昭和の時代から延々と非公開です。不況、デフレの時代に、「子どもの貧困」、「非正規雇用」、「就職氷河期世代」、「保育士、介護士不足」という社会問題がメディアで度々取り上げられても、国会議員の「身を切る改革」はなし。議員1人あたり給与約2,200万円/年の他に、領収書不要で非課税の文書通信交通滞在費(1人1,200万円/年)立法事務費(1人780万円/年)といった使途不明金を、税金からシレっと受け取り続けてきました。文書通信交通滞在費は「費用」ではなく、国会議員の「第二の給与」と揶揄されてきた歴史が続きました。

バブル崩壊後に、上げる根拠も必要性もないのに(国会で協議した記録なし)、文書通信交通滞在費を1人月額75万円から25万円アップの月額100万円にしました。シレっとアップした月額25万円。この金額の給与すら受け取れない国民が大勢いることを、想像できなかったのでしょうか。

国会議員らが受け取った費用もどきの手当は、内訳をどこにも見せないし、しかも非課税。そんな昭和時代の悪習(記録なしの密室政治、文書非公開)を引きずっている国会議員らが、透明化とスピードが売りとなる「デジタル庁」を令和に発足させたなんて、ブラックジョークでしょう。まずは、「隗より始めよ」で、国会議員の懐具合をデジタル化すべきじゃないでしょうか。

9月1日のデジタル庁発足時の菅首相の発言①

本日、平井大臣のリーダシップのもと、デジタル庁の発足を迎えることができ、大変嬉しく思います。石倉デジタル監をはじめ、約600人の皆さんに参加いただきました。
新型コロナ感染症への対応の中、行政サービスや民間におけるデジタル化の遅れが浮き彫りになりました。思い切ってデジタル化を進めなければ、日本を変えることはできない。

菅首相は「思い切ってデジタル化を進めなければ、日本を変えることはできない」とも述べています。「政治活動や選挙費用にカネがかかる」という理由を錦の御旗にして、勤勉な国民が働いて納めた公金を、ズブズブと受け取り、使途を明らかにしない国会議員ら。ばらまき、金まみれ政治を延々と続けてきた国会議員らが自らの政治を透明にしたら、日本社会を少しは変えることができるのではないでしょうか。デジタル庁の初仕事として取りかかったらどうでしょうか。立法者なら、カネのかからない選挙の仕組み、これからの若い人たちが立候補しやすい仕組みを考えたらどうでしょうか。国会議員は、国家公務員に、公文書の破棄ばかり命じてないで、国民のための仕事をさせてほしいです。

9月1日のデジタル庁発足時の菅首相の発言②

これを強力にリードする司令塔が必要である、こうした思いで、デジタル庁の創設を決断いたしました。行政サービスの電子化の遅れ、バラバラな国と自治体のシステム、マイナンバーカードの利便性の問題、など、長年、手が付けられず、先送りにされてきた課題が沢山あります。デジタル庁には、政府関係者に加え、民間で様々な経験をされた方々が数多くいらっしゃいます。

さらに、菅首相は、「マイナンバーカードの利便性の問題」を強調。デジタル庁の目的の本丸がここにあるといえるのではないでしょうか。マイナンバーカードの普及。各地方自治体がそれぞれの運営の中でできるマイナンバーカードを使ったデジタルの仕組みにすればよいものを、総務省の天下り先のひとつ「地方公共団体情報システム機構(総務省の外郭団体、略称=J-LIS)」が全国の各自治体から負担金を受け取り潤う仕組みになっています。どのような仕組みになっているのか、ウオッチ大津№127ウオッチ大津№129、 ウオッチ大津№137で報道したことがありました。地方自治体から情報とカネをどんどん吸い上げるだけの仕組みではないでしょうか? そして、その全国から集めたカネは、最終的にどこに行くのでしょうか?

9月1日のデジタル庁発足時の菅首相の発言③

立場を超えた自由な発想で、スピード感をもちながら、行政のみならず、我が国全体を作り変えるくらいの気持ちで、知恵を絞っていただきたいと思います。
誰もがデジタル化の恩恵を受けることができる、世界に遜色ないデジタル社会を実現する。
こうした決意を新たにし、私からの挨拶といたします。

菅首相発言の「立場を超えた自由な発想で、スピード感を持ちながら」云々(うんぬん)は、デジタル化の問題ではなく、政治家の資質の問題でしょう。「自由な発想もできない」、「スピード感を持たない」国会議員らの仕事ぶりが緊急事態のコロナ禍下において思わず露呈してしまったため、若い世代にウケる「デジタル」というキーワードを打ち上げ、菅政権の人気回復のための道具として、急いで発足したんじゃないでしょうか。「デジタル」は手段でしかないのに、手段(ツール)の1つを省庁にするなんて愚の骨頂でしょう。そして、デジタル庁ができても、国会議員らの都合の悪い情報の非公開が続きます。国民には見えないところで。