5月21日(木)発売の週刊文春が、黒川弘務検事長が懇意の記者たちと賭けマージャンをしていたと報道しました。瞬く間に批判が高まり、翌22日(金)に本人が辞表を提出しました。「メディア遊歩道」で、ウオッチドッグ記者と元新聞記者のウオッチドッグデスクが、世間に衝撃を与えたこの問題を語り合いました。

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ウオッチドッグデスク
“文春砲”が炸裂しましたね。黒川氏は「一部事実とは違う」としていますが、大筋を認めています。黒川氏を養護する人はほとんどいないでしょう。
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ウオッチドッグ記者
辞職に伴う退職金が約6,000万円と言われ、余計に国民の神経を逆なでしていますね。
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週刊文春の記事の見出しは、「黒川弘務検事長は接待賭けマージャン常習犯 5月1日、産経記者の自宅で“3密”6時間半」でした。大事なことばかり押し込んだ、見事な見出しです。
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見出しだけで映像が浮かびます。
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この人でなければ難しい事件が解決しない、というのが定年延長の理由だったのですから、黒川氏の辞職で、未解決事件が増えてしまいますね。どうなるんでしょう(笑)。
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検察庁は、それほど人材難なんだったのでしょうか?  心配になってきました。賭けマージャンをするような人物が、上層部にいたぐらいですから。
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問題点を整理しておきたいと思います。黒川氏については、①賭けマージャン、②緊急事態宣言下での3密、③メディアからの接待(記者との付き合い)、④懲戒処分ではなく「訓告」どまり、⑤高額な退職金、などでしょう。このうち④と⑤は、報道後に出てきた問題です。
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多重債務のように、多重問題の嵐ですね。辞めて退職金6,000万円を受け取って、これで何もかも終わりで済むんですか。そんな甘い処分で、「国民を舐めんなよ」と言いたいです。黒川氏を検事総長にしたいため、1月31日に「定年延長」を閣議決定した政府の責任は、どうなるんですか?  産経新聞や朝日新聞が、そして、他の新聞社が徹底追及しないとしたら、報道機関は終わっているでしょう。

1月31日の首相官邸の閣議決定の一覧を覗くと、「検事長黒川弘務の勤務延長(決定)」と書かれている。

↓首相官邸ホームページ/令和2年1月31日(金)定例閣議案件https://www.kantei.go.jp/jp/kakugi/2020/kakugi-2020013101.html

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参加した記者側の問題としては、①〜③は当てはまりますね。この「遊歩道」で取り上げたいのは、③の部分です。つまり、検察(検察官)という権力と、メディアの関係です。賭けマージャンと「3密」がなくても、大いに問題ありです。
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「記者と検事長が賭けマージャン」に興じていたニュースを知っても、私はそれほど驚きませんでした。
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というと?
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明治時代の「滑稽新聞」を隅から隅まで読んで、同じような事例の報道をみました。ジャーナリスト宮武外骨は、権力と新聞社の癒着を批判する記事をとことん書いてました。「権力側」の政治家や役人と「報じる側」のメディアが、一緒に飲食したりすることは、絶対に、やってはいけないことだと主張してました。
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なぜ、外骨は「絶対ダメ」と言っていたのでしょう?
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一度でも一緒に食事をすると筆が鈍ると。私も、そう思います。ましてや、記者が取材相手と一緒に「賭けマージャン」なんて、言語同断です。そんなものは取材とはいえないです。ただの癒着です。
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賭けマージャン自体より、6時間半という過ごし方に驚きましたけどね。
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検事長って、暇なんでしょうかね?

【調査報道の源流】古今無類の筆鋒/前代未聞の精神/宮武外骨「滑稽新聞」№2

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滑稽新聞を読み、司法機関と政権がべったりとなって、政権批判する者たちを、政権側に有利な法を作って行使し、経済的に追い詰め、言論封殺していた時代を生々しく知りました。そうした政権のやり方を批判することなく、“提灯記事”しか書いていない当時の報道機関の体たらくも知りました。昔も今も同じだと思いました。姿を変えていますが、今も、大小いたるところで、同じような問題は顕在していると思います。

【調査報道の源流】外骨は軟骨にあらず/言論封じ「明治の新法律」に抵抗宣言/宮武外骨「滑稽新聞」№38

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今回の場合は、検察に対するメディアの取材の構造を抑えておきたいです。というのは、検察に対する取材は、記者会見があるわけではなく、両者が対等ではありません。検察側が非公式にほんのちょっとの情報を出し、それをメディア側がもらって「関係者によると……」という形で記事を書くという取材スタイルです。両者の力関係は、圧倒的に検察が強い立場だと言えます。
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記者会見を開かせることはできないのですか? そうした検察の体質を問題視できないのですか?
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長年続いてきています。警察取材もこれに似ています。でも、特捜部がある東京地検と大阪地検に対する取材はもっと極端です。完全に検察側が優位。メディア側はただ情報を一方的にもらうだけ、という形になっています。メディア側が検察という権力を監視する、批判するというような立場にはもともとなっていない、ということです。オープンな場で、ちゃんと記者会見することはほとんどない。広報されるものもほとんどない。
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メディアは、国民の代わりに、権力を監視すること、必要な情報を国民に知らせる責務があると思います。検察や警察が流す情報が、どれだけ国民が必要としている情報なのでしょうか? 誰々が捕まったという情報を、いち早く流すことを、国民が求めているのでしょうか?
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いずれ明らかになることを、自分の社が先に流せるかどうか。まったくのメディア業界内の競争ですね。権力監視のレベルで争っているわけではありません。
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読者は関係ないですね。
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ただ、検察からチラッと見せられる(リークされる)情報をもらうだけ。もらっておかないと、他社との特ダネ競争に遅れをとってしまう。報道各社の弱みを上手に抑え、コントロールする。例えば、捜査線上にある大企業社長Aは、プライベートでもカネの使い方が荒い(悪い奴)というような、検察には捜査がやりやすくなるような情報を流す。数少ないおいしいニンジンをぶら下げ、飛びつくメディアを操作する。
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メディア同士の特ダネを追い求める、「早い」か「遅い」か、「勝った」か「負けた」か、という報道に対する価値判断の体質が検察側から利用されているように感じます。
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その通りです。担当記者は、ニンジンをもらうため、幹部の自宅などを回る、夜討ち朝駆けと言われる、最も過酷な取材を強いられています。日付が変わって帰宅し、午前5−6時には再び、ハイヤーで取材に向かう。もちろんこれだけではないし、頭も使うわけですが、体力勝負の面もあります。
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織田信長と木下藤吉郎のような関係の取材光景ですね。
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実は、私は大昔、共同通信で記者の仕事をしていたとき、東京で司法記者クラブに所属していました。オウム真理教の事件の裁判ばかり1年間追い掛けていました。司法記者クラブの記者の半分は裁判担当、半分は検察担当です。東京地方裁判所内にある、各社ごとのボックス(一室)には、検察担当記者たちもいたので、彼らがどういう取材をしていたかは、間近に知る立場にありました。
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今、振り返って、そうした取材は必要だったと思いますか?
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当時から疑問に思っていました。各社一緒に夜回りして、ひと言聞けるかどうかの仕事なら、学生アルバイトを雇ってもいいですよね。家庭崩壊を招きかねない、過酷な日々。今なら「働き方改革」でアウトかもしれませんが、当時はそんな取材が当たり前に行われていました。私にはとてもできなかったと思います。
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労働環境としてもおかしいですよね。異常な勤務時間です。
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各社とも検察担当は社内ではエリート記者です。競争が激しいのでエース記者を配置するわけです。馬車馬のごとく働く記者じゃないと務まりません。私は無理です。
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せっかくの有能なエース記者が、過労死しちゃいそうですね。
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さて、今回の黒川氏の問題です。まったくの想像ですが、対等なお友達関係でマージャン卓を囲んだのではないように思います。つまり、検察No.2 の黒川氏から「今度やろう」と言われたら、断れるような関係ではなかったのではないかと。ベタベタな関係、ズブズブの関係、というよりも、検察にいいようにされている。情報はもらえなくても、付き合っておいても損はないだろうぐらいの意識は記者側にあったと思います。検察幹部と自分が所属する社の良好な関係は維持しておきたい。だから、マージャンが終わった後、黒川氏を自宅までハイヤーで送り届けることは、産経新聞は社としてOKだったのでしょう。
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権力を監視するというジャーナリズムの使命がどこにもないじゃないですか。これでは、まるで、営業、接待ですよ。宮武外骨が編纂した「筆禍史」は、明治初期に、政府より言論弾圧を受けた新聞社と記者の名前がずらりと書いてます。こうした歴史が消えないように留めておこうと編纂したはずです。当時、官吏らの批判記事を書いて獄中に入った記者たちは、現代の記者が、検察官僚と賭けマージャンしている関係性をみたら、何て思うでしょう?
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一緒に記者が賭けマージャンをしていた産経新聞と朝日新聞は、きちんとした社内調査を実施してほしい。結果を公表する。
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内輪の調査に期待できますか?
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第三者が入った調査が望ましいです。産経新聞は「取材源の秘匿」を理由にごにょごにょ言い訳をしていました。この主張は二重に間違っています。「取材源」は黒川氏で、本人が一緒にいたことを認めています。それに、産経の記者は一緒にマージャンをし、ハイヤーをあてがっていながら記事を書いていないわけですから、「取材源」とは言いがたいです。
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6時間も一緒にいたのなら、知りえたこといっぱいあったでしょうに。どうして、記事を書かなかったんでしょうか? 記事を書くのが記者の務めじゃないですか。
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司法記者クラブに加盟している新聞やテレビが、取材の在り方を見直すきっかけになればいいのですが。加盟していない週刊文春に、お膝元の黒川氏のスキャンダルをスクープされてしまうような体たらくですからね。市民の味方は新聞・テレビではなく、週刊文春になっています。
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トホホですね。デスクは記者クラブに所属経験があります。この問題の改善策はありますか?
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記者クラブが悪いと言うよりは、記者に取材力がないことが根本的な問題です。逆に、取材力がないから、検察から情報を早くもらった方が業界内では勝つという構造が温存されてきたとも言えます。制度を変えてごまかすのではなく、何のためにメディアがあるのかを問い直し、取材力を付けるしかないと思います。要するに、新聞・テレビはくだらないプライドを捨てて、週刊文春をお手本にすればよいわけです。取材班に記者研修でもやってもらったらどうでしょうか。
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取材力って、技術だけではなく、1人1人のマインドにもよりそうですが。大手メディアには、ジャーナリズムの原点に立ち返って、しっかり権力監視をしてほしいです。ウオッチドッグも、原点のマインドを持ちづけたいです。

【明治の調査報道】記者vs内務省官僚/バトルの8年間/宮武外骨「滑稽新聞」№51

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ウオッチドッグ編集部