明治の滑稽新聞
ウオッチドッグは、調査報道の源流を探るため、明治時代の「滑稽新聞」の報道について毎週水曜日に紹介している。「滑稽新聞」はジャーナリストの宮武外骨を主...
明治のジャーナリスト宮武外骨は、1903年(明治36年)2月20日付の「滑稽新聞」第43号で、同年3月から開催予定の内国勧業博覧会にあわせて建立され...
1903年(明治36年)の内国勧業博覧会にあわせて、隣接する大阪・四天王寺では世界で一番大きいとされる大釣鐘(高さ8メートル、重さ157.5t)の鋳...
2025年の大阪万博の誘致に向けて、大阪府知事と大阪市長が積極的に動いているが、今から115年前の大阪で、第5回内国勧業博覧会が開催された。場所は大...
明治34年(1901年)1月から発行した「滑稽新聞」は、宮武外骨がこだわった滑稽の妙味が詰め込まれた新聞だった。しかし、当時、「それが滑稽か」と非難...
明治35年10月20日発行の滑稽新聞・第36号で、宮武外骨は、当時の滑稽新聞が置かれていた状況と思いを記事にしている。 滑稽新聞が庶民の間で人気を博...
明治34年10月14日発行の滑稽新聞紙上で、大阪市会議員の野口茂平を筆誅した記事が、誹毀罪(現代の名誉毀損罪)にあたるとされていた裁判で、滑稽新聞社...
明治のジャーナリスト宮武外骨は、滑稽新聞・第33号「滑稽新聞様(三)」で、社会の実益と自己の存立を計るには、従来の新聞の真似事をしては到底ダメと説き...
滑稽新聞の明治35年4月5日の報道によると、偽薬を販売していた丹平商会を滑稽新聞社が告発していたが、その判決が出た。偽薬の毎月丸を販売していた丹平商...
宮武外骨の1年余りの報道と告発は、当時の読者に強いインパクトを与えた。告発後の明治35年2月5日付の滑稽新聞・第22号は、この事件に対する読者の投書...